文鳥の歴史について
文鳥団地さんのサイトで文鳥の歴史について読んで以来、文鳥の歴史に興味をもって、自分なりに少しずつ調べています。これまで分かったことを記事にしましたので、ご一読いただければ幸いです。
Re: 文鳥の歴史について
白文鳥はいつ誕生したのか?
https://note.com/yanagis/n/n6c318a01e2ed
https://note.com/yanagis/n/n6c318a01e2ed
Re: 文鳥の歴史について
すごい、しっかり調べられていて説得力があり、読み応え十分です。まだ、流し読みしかしていないので、印刷してゆっくり読みたいと思います。
しっかり史料を並べて頂けると、想像力をパタパタしやすくて、とてもありがたいです。
しっかり史料を並べて頂けると、想像力をパタパタしやすくて、とてもありがたいです。
ジャクボー 2024/10/19(Sat) 17:35 No.160
Re: 文鳥の歴史について
よく見ればララビスちゃんの飼い主さんでしたか、遺伝のテキストは今でもたびたび参考にさせて頂いています。ありがとうございます。
歴史についてもご研究がより深化していて、感嘆しております。知らなかったお話も多く、知見の後追いしたい気持ちです(気持ちで終わるかもしれないのですが・・・)。
さらにさらにさらにディープなお話を突き詰めてご紹介頂けることを、こっそり期待しております。
歴史についてもご研究がより深化していて、感嘆しております。知らなかったお話も多く、知見の後追いしたい気持ちです(気持ちで終わるかもしれないのですが・・・)。
さらにさらにさらにディープなお話を突き詰めてご紹介頂けることを、こっそり期待しております。
ジャクボー 2024/10/19(Sat) 20:55 No.161
Re: 文鳥の歴史について
過分のお言葉、ありがとうございます。
弥富市の文鳥村についても書きました。
弥富市で白文鳥が誕生したという通説はいつ生まれたのか?
https://note.com/yanagis/n/nd71fd83bb807
弥富市の文鳥村についても書きました。
弥富市で白文鳥が誕生したという通説はいつ生まれたのか?
https://note.com/yanagis/n/nd71fd83bb807
やなぎす 2024/10/26(Sat) 11:57 No.163
Re: 文鳥の歴史について
ありがとうございます。一読いたしました。
そうですね、証言集の類は、言葉を持っている人が言葉を持っていない人の言葉を集めるもので、客観的な事実ではない点が貴重なのだと、しみじみ思います。
私は私の父から祖先の話を聞いたことがありませんし、父方の祖父が何をしていたかもよく知りません。語り継ぐ能力とは、庶民には持ち得ないものですね。
同じ集落で同じものを育てていても、てんでばらばら、直接取材されたように、記録を読むわけではないのでいろんな話を断片的に自分でつなぎ合わせてストーリーを紡いでしまう。話を聞きとる方は、しっかり記録して言葉にする習慣があるので、相手もそうだと信じてしまう。
ただ八重ちゃん(「やえめ」が本名ですか、武家奉公をしていたらしいので、屋敷内で八重ちゃんの意味で、「やえじょ」と呼ばれていたのだと思っているのですが・・・。それにしても碑文を横書きにしてカッコつけたりしますからね・・・)の話は、わりに最近です。「明治三十九年に七○才でこの世を去った」となれば、20半ばを過ぎて屋敷を出たわけで、維新期に暇を出された可能性が高い晩婚で、1990年代の飼育本(「大久保巨」さんの)には3代目の大島しんさんのお写真が載っていたりします。しんさんが孫娘なのか、嫁いできた人なのか知りませんが、一族の伝承は口伝で、と言うより直接当事者から語られていたはずで、後世のつなぎ合わせ、捏造的なものとまでは言いきれず、難しいところです。
顕性を弥富発祥としない場合、どこかで潜性白文鳥がいて、顕性は後からどこかで出現し、となってきそうで、弥富がいつから白文鳥を導入し、なぜただの田舎がいつ大生産地になったのか、今後のご説の進展を見守りたいところです(丸投げ)。
なお、アゴが白いなどの部分白化に拠る桜文鳥は、おそらく固定化できず、経験上は、桜文鳥同士の交配でさえ消えていくものなので、あまり意味はないものと私は思っています(遺伝子にプールされない。例えばカゴから抜けて野生化した桜文鳥は瞬く間にノーマル色に戻っている)。
そうですね、証言集の類は、言葉を持っている人が言葉を持っていない人の言葉を集めるもので、客観的な事実ではない点が貴重なのだと、しみじみ思います。
私は私の父から祖先の話を聞いたことがありませんし、父方の祖父が何をしていたかもよく知りません。語り継ぐ能力とは、庶民には持ち得ないものですね。
同じ集落で同じものを育てていても、てんでばらばら、直接取材されたように、記録を読むわけではないのでいろんな話を断片的に自分でつなぎ合わせてストーリーを紡いでしまう。話を聞きとる方は、しっかり記録して言葉にする習慣があるので、相手もそうだと信じてしまう。
ただ八重ちゃん(「やえめ」が本名ですか、武家奉公をしていたらしいので、屋敷内で八重ちゃんの意味で、「やえじょ」と呼ばれていたのだと思っているのですが・・・。それにしても碑文を横書きにしてカッコつけたりしますからね・・・)の話は、わりに最近です。「明治三十九年に七○才でこの世を去った」となれば、20半ばを過ぎて屋敷を出たわけで、維新期に暇を出された可能性が高い晩婚で、1990年代の飼育本(「大久保巨」さんの)には3代目の大島しんさんのお写真が載っていたりします。しんさんが孫娘なのか、嫁いできた人なのか知りませんが、一族の伝承は口伝で、と言うより直接当事者から語られていたはずで、後世のつなぎ合わせ、捏造的なものとまでは言いきれず、難しいところです。
顕性を弥富発祥としない場合、どこかで潜性白文鳥がいて、顕性は後からどこかで出現し、となってきそうで、弥富がいつから白文鳥を導入し、なぜただの田舎がいつ大生産地になったのか、今後のご説の進展を見守りたいところです(丸投げ)。
なお、アゴが白いなどの部分白化に拠る桜文鳥は、おそらく固定化できず、経験上は、桜文鳥同士の交配でさえ消えていくものなので、あまり意味はないものと私は思っています(遺伝子にプールされない。例えばカゴから抜けて野生化した桜文鳥は瞬く間にノーマル色に戻っている)。
ジャクボー 2024/10/26(Sat) 14:03 No.164
Re: 文鳥の歴史について
お読みいただきありがとうございます。
歴史学についての素人ですが、国会図書館のデジタルコレクションなどで、文献をあさっていると、色々と発見があり、面白くて没頭していました。
ただ、潜性、顕性の問題もそうですし、文献だけですべて分かるはずもなく、この辺が妥当な線かなあと推測するのがせいぜいという感じです。
桜文鳥についての見解ありがとうございます。桜文鳥の遺伝については、良く分からないので、飼育している人の経験を聞くしかない状況です。
歴史学についての素人ですが、国会図書館のデジタルコレクションなどで、文献をあさっていると、色々と発見があり、面白くて没頭していました。
ただ、潜性、顕性の問題もそうですし、文献だけですべて分かるはずもなく、この辺が妥当な線かなあと推測するのがせいぜいという感じです。
桜文鳥についての見解ありがとうございます。桜文鳥の遺伝については、良く分からないので、飼育している人の経験を聞くしかない状況です。
やなぎす 2024/10/26(Sat) 16:48 No.165