容姿を飾り

​​​絶世のドラえもんジュン太​​​
 以前指摘したように、2016年のアメリカ大統領選は、目障りな婆さんと耳障りな爺さんの闘いとなり、耳障りな爺さんが勝ち、現在の悲惨で滑稽なコロナ禍を招いてしまうことになった。
 ヒラリー・クリントン氏が目障りだったのは、そのわざとらしい表情やしぐさが原因と思われる。もちろんそのあざとさたるや、他国の部外者で英語を理解しない私でさえ、ウンザリさせられるほどだった。しかし、それも仕方がないものとして有権者の多くは目をつぶって選ぶのではないかと、私は思っていた。
 何しろ、ヒラリー氏の場合、目障りになるのには汲むべき事情がある。元々身なりを気にせず赤毛の瓶底メガネで辣腕の弁護士、言わば「タイガーレディ」であった彼女が、弁護士としての能力は自分よりはるかに劣った夫が大統領になった際、ファーストレディになるために無理な努力をして、あのようになったはずだからである。つまり、わざとああなったのだからわざとらしくて当然なのである。
 人は目をつぶれば嫌なものをみなくて済むが、耳をふさいで完全に聞こえなくするのは難しい。従って、目障りは許せても耳障りは許せない、これが論理的帰結なのだ、と私は信じている。ところが、人は視覚に頼る生き物なので、本能的に目障りの方を忌避し、得てして論理より本能に結論を求めてしまう。
 今回は、どちらもビジュアル的には爺さんで同じであり、より耳障りな方が負けるはずなので、当たり前の結果に終わるに相違あるまい。いかに進歩派の押し付けがましい正義のご卓説にうんざりしていても、無茶苦茶のデタラメよりはマシなのである。
 見た目が人の判断基準になるのは、見た目を気にして、自分がどのように見られたいかを表わしているからだろう。
 では文鳥は?身なりなど気にしない。天然自然にありのままだ。それに対して、頭が大きいの斑があるのなどとあげつらっても意味はあるまい。いかに美しくても一皮むけばみなしゃれこうべであり、そもそも自分の子どもの美醜だけを気にする親などあってはならぬ。
 にしても、ドラえもん体型の文鳥はかわいいな。

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