やっぱりシミィは落ちない

​​換羽が終わりつつあるジミィ​​
 自動車がなくても生活ができる都会に住まう足腰の弱った88歳の年寄りが、己の身勝手な料簡で車を運転し暴走させ母子を死なせてしまった事故に関し、この「暴走老人」の厳罰を求める署名が展開されていると言う(​産経記事​)。
 もちろん、被害者のご家族が加害者に対する厳罰を求める気持ちはよくわかる。このような不覚の仁は、全財産を差し出した上で自裁するのが当然だと、個人的意見としてはそのように強く信じてさえいる。さりながら、何万人もの当事者ではない人間たちが、意図して起こしたわけではない老人の過失を責める行為には違和感を覚える。
 当事者の処罰感情と、第三者の社会人による客観的判断は別物のはずである。もし、客観性を失い当事者の感情に同調するばかりとなれば、まるで集団リンチの加害者になってしまうように思える。もし、この悲惨で腹立たしい事故に対し、第三者として行動を起こすのであれば、政府なり立法府に対し、高齢ドライバーの取り締まり強化や、自動車会社に対する安全対策強化を求める請願であり、赤の他人に対する処罰感情の表明ではないはずだ。
 個人に対する恨みの類と見なされることに、第三者が軽々に加担すべきではなく、それを求めるべきでもないだろう。当事者には恨む理由があり、裁判においても被害者や被害者に親しい人たちの処罰感情
は重視されるし、重視されねばならない。なぜなら裁判の判決は、個人的な仕返しの応酬で社会が混乱しないように、法の下で代理処分をすることで、被害者の恨みを晴らすという側面があるからだ。
 しかし、第三者の社会人としては、罪を憎んで人を憎まず、こそが、あるべき姿だと、私は思うのである。
 それはさておき、やはり、ジミィのシミはそのまま残った。この白い部分の赤味を帯びた灰色は、抜けないものなのである。で、やはり、妻や子供たち(ボクジュ・コビィ)に比べると、外見の美しさの点で、1羽取り残されたままだ。
 それでも、性格美男子なので良い。

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