反抗期のノビィっ子兄妹
令和の発音の件で、頭にアクセント(強調)が来ない平板型の単語として「平和」や「昭和」が挙げられていた。しかし、標準語の発音としては、どちらも、頭高型のはずである。
へイワであってヘイワではあるまい。への強調が薄まって、ヘーワと平たく感じられるような発音が大勢になってきているかもしれないが、改まってヘイワと尻上がりに持ち上げて発音してしまうと、標準語のイントネーションは保てないので、基本はやはり頭高型だろう。
へイワであってヘイワではあるまい。への強調が薄まって、ヘーワと平たく感じられるような発音が大勢になってきているかもしれないが、改まってヘイワと尻上がりに持ち上げて発音してしまうと、標準語のイントネーションは保てないので、基本はやはり頭高型だろう。
昭和も同様でショウワであってショウワではない。ショーワと平板に発音されることが多いかと思うが、改まってショウワと尻上がりに発音してみると、やはり標準語のイントネーションは保てない。
となると、一部の研究家を含めて、あくまでも標準語における単語のアクセントの振り方は、間違いがちなのかもしれない。もちろん、日本語全体としてなら、単語のアクセントは真ん中以降に尻上がりになることの方が普通なので、そちらに引きずられ、特異な標準語の発音が理解されなくなっているのかもしれない。
なお、断っておくが、私が正しい発音と言う時は、あくまでも標準語として自然で正しい、と言う意味に過ぎない。全国放送のアナウンサーなどは、標準語とされるものでニュース原稿を読まねばならないので、ひとつの単語のアクセントを間違えて標準語のイントネーションをはずれるようでは困るだけの話だ(事例多し)。地方で地方の日本語を話す場合、ところどころ標準語のアクセントで単語を発声したらおかしくなるだけなので、標準語の単語の発声だけが日本語として「正しい」わけではない。日本語=標準語ではない。
ところで、方言の形成は、都(京都)から広がっていくので、同心円上に違いが生じる、といった説を、児童生徒の頃教わったが、言葉の伝播はそれほど単純ではないだろう。関東の標準語の原型などは、中央から伝播してくる話し言葉より、土着の東夷(あずまえびす)なり蝦夷(えぞ・えみし)の話し言葉のイントネーションが色濃く残っているように思われ、より遠くの東北地方は、古代に畿内からの移住が盛んになるので、むしろストレートに都言葉のイントネーションが伝わっているのかもしれない。いろいろ考えさせられる問題だ。
思いつきだけの珍説はともかく、ノビィっ子たち。シルバーヒナの差し餌の「お手伝い」(邪魔してるだけ)をさせていたら、天使だった幼い頃(つい数週間前)の記憶がよみがえってきたようで、飼い主を避けなくなってきた。・・・何が幸いするかわからない。
なお、何を目的にへばりついているかと言えば、飼い主のジャージのジッパー(ファスナーとも言った)部分に文鳥のチャームがあり(壊れたのでやむなく・・・)、それをつつき倒したいがためである。・・・耳をかじられるよりマシだな。
なお、何を目的にへばりついているかと言えば、飼い主のジャージのジッパー(ファスナーとも言った)部分に文鳥のチャームがあり(壊れたのでやむなく・・・)、それをつつき倒したいがためである。・・・耳をかじられるよりマシだな。
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