小悪魔コビィ
来月からの年号『令和』については、その読み方のアクセントも話題になっているそうだ。産経新聞の「令和」のアクセントは? 放送各社で対応分かれる、との記事によれば、語頭にアクセントがくるのを頭高型と言い、政府やNHKはそちらで発音し、それに対してTBSはアクセントがない平板型を採用するとある。
記事では、神戸大の先生が何やら解説しているが、とりあえず無視して結論を言えば、標準語の読みとしては頭高型が正解である。前にもここで書いたが、標準語のアクセントは日本の中で特殊で、単語のアクセントが語頭にくる頭高型が多い。迷ったら、そちらで発音しておけば、大抵は正解と言えるほどだ。
地方出身のアナウンサーなどは、標準語を要求され単語のアクセントに迷うかと思うが、それは単語だけで考えてしまうからだと思う。しかし、単語の発音は、センテンスに入れて読んだ際に、標準語なら標準語、地方訛りなら地方訛りとして、自然なものは何かを考えるべきもので、単語だけでどちらか決まるものではない。
令和の場合は、「今日から令和元年になりました」といったセンテンスに入れて言ってみたら良い。さて、レイワを平板型で読んで標準語のイントネーションを保てるだろうか?おそらく平板型で発音してしまうと、「元年」の発音が頭高型を保てず、「になりました」に向けて尻上がりになるはずで、それは未だ拙い機械の合成音か、無理をした地方出身者のどちらつかずのイントネーションで、不自然になるのである。
逆に言えば、例えば神戸を含む関西弁では、平板型でなければ関西弁のイントネーションは保てない。したがって、神戸大の先生が「令和もなじむにつれ、時代とともに平板型の読み方が定着していくのではないか」と仰るのも理解できる。しかし、標準語しか話せない者からすれば、それはあなたの地域の話で、標準語が標準語のイントネーションを保つ限り、令和の発音は平板型にはなり得ないとしなければならない。
標準語のイントネーションは日本の中で特異なので、それを身に付けるのは、なかなか難しいものかと思う。センテンスとして読む際の抑揚さえ身に付けば、単語のアクセントは自ずと理解できるものである。
・・・で、TBSは東京の六本木にあって東京ブロード何とかと自称するのに、なぜ平然と標準語以外の発音をさせたがるのか?いつものことなので(例えば道の「交差点」の発音はこのテレビ局だけ平板型だ。数学の交差点はそれで良いのだが、では、「六本木交差点で待ち合わせ」と交差点を平板型で発音して読んでみたら良い。たぶんヘロヘロになって標準語のイントネーションは保てない)、奇をてらいたい幼児性の目立ちたがりなのだと個人的には断じる。
などと蛇足に興じている場合ではなかった。
今日、ツイカ&サンが育ててくれた2羽のシルバーヒナを引き継いだ。最終的に24gと26gの立派なヒナでなかなか将来有望な気配であった。なお、今回から、玄関にあった小さなテレビ台を利用した育雛室を放鳥部屋に移して運用することにした↓。今までの2倍の収容力を持つ優れものだ。
一方、コビィの神経過敏は日増しに悪化し、羽を抜いても飛翔能力はさして変化なく、少々困っている。ヒナ換羽が終わったら落ち着いてくれるように祈るばかりだ。
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