晩柑到来

​​娘コビィと母ノビィ​​
 コビィはメスだと思い込んでいるが、別に確証があるわけではない。
 で、今日は河内晩柑が届いたので、その宣伝をしつつ、万葉集が流行り出したようなので、勝手な雑感をば。
 今回の年号の選定で、万葉集に対して漢文かと誤解する人が現れるかもしれない。もちろん、万葉集の肝は和歌で、漢字の当て字をした万葉仮名で表現されている。例えば、今回の年号の典拠だとしている梅花の宴の主人公大伴旅人の息子、大伴家持のちょっと「センチ」(センチメンタル=感傷的)な歌をご覧あれ。

​ ​うらうらに照れる春日に雲雀上がり心悲しもひとりし思へば​
 かなりわかりやすいかと思うが、念のため勝手に意訳すれば、うららかな春の陽気に天高く舞い上がり鳴くひばり・・・、とてものどかで心地よくなるはずなのに、ひとり物思いに沈んでいると悲しい気持ちしかしないんだよなぁ、となる。
 このように漢字とひらがなで表現する形で意味がとりやすくなっているのは、賀茂真淵など江戸時代の国学者が研究してくれたからだ。さらには、歌人斎藤茂吉が万葉集に収録された短歌の中から特に秀でたものを抄出した『万葉秀歌』(昭和13年)はベストセラーとなり、万葉集の歌を一般に広めたことも、万葉集に興味をもつなら、この際、ちょっと踏まえておきたいところである。
 では、先人たちの翻訳とか注釈とかしてくれなかったらどうなってしまうだろうか?それは和歌部分の万葉仮名での表現は、もはや暗号でしかなく、意味がわからないような代物なのである。例えば、上述の家持さんのセンチな歌は、実際の万葉集には次のように記載されている。

​ 宇良々々尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比登里志於母倍波​​
 「さあ、どうだ、うらうらぁ~、このテキストから訳せるものなら訳してみやがれ!」と、言いたいね。このような、現在ならひらがなで表現すべきところも漢字なのだから、万葉集から漢字二字を選出する際は、万葉仮名からにするのが、「万葉集を典拠にした」の本来の在り方だろう。ところが、その漢字は当て字なだけで意味はないので、選定したことに対するそれっぽい説明をこじつけでするのも困難となってしまうかと思う(だから万葉集から選ぶなど無理筋)。ともあれ、ひらがなカタカナのない昔の日本人は、自分の話し言葉を表現するのに苦労したわけだ。
 それにしても、大相撲で宇良という力士が現れたら、↑のセンチな家持ソングが思いだされるし、「うらうら」とくれば、「うらうらうらうらぁ~」の『ジャングル黒べえ』(人種差別的とされ再放送されず、DVD化も絶望的な藤子不二雄原作のアニメ)を懐かしまずには済まない。いろいろ連想できるのは楽しいものだ。

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