『TSUNAMI』はわびしいだけでは?

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​​​妹の旦那マツの女房を気取るキイ​(左)
 「サザンの“TSUNAMI” 今 どう思いますか?」との2日前の​NHKの記事​で、そういうことになっていたのを今さら知った私は、「どう思うかって・・・、アホくさ~としか・・・」と大いに当惑した。
 2000年にリリースされたこの歌では、「津波のようなわびしさに」との部分がサビとされるのだろうが、津波にわびしさ、静かでさびしい様子、を感じるのはそもそもおかしな話であった。さらに、2011年の大震災において、あの大海原が押し寄せてくる圧倒的な大津波を見せつけられては、わびしい、など言葉語呂合わせとしてもわびしくなってしまった(侘しいには、「ひどく静かでさびしい様子」「心細い様子」「みすぼらしい様子」「つらく悲しいやるせない様子」「当惑してやりきれない様子」「興ざめで面白くない様子」といった意味がある)。
​ しかし、津波の現実とはかけ離れたこの歌は、もともと歌詞としてなら、(桑田さんだからエロだろうと決めつけて聞いてしまう私の個人的解釈では)「素直におしゃべりできない」という部分を唄いたいがためだけのもののはずである(詳しい説明は自主規制である)。そのようなエロ歌と思っている代物を、何やら意味深な歌詞を持つ禁断の曲のように扱われては、当惑してやりきれず興ざめで面白くなく感じるわびしさに満たされるのも、また当然ではあるまいか?​
 それでも、歌曲に自分の思い出、思い込みをを勝手に当てはめて胸にしまうのが、名曲の良くするところなので、被災者の一部にこれほど意識してもらった罪作りな『TSUNAMI』は、やはり名曲なのだろうと、改めて思い知った次第である。
 それはともかく、キイちゃんは・・・。このまま独身であろうか。「親」としては悩ましいところだ。

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