鳥キチ親爺は偏屈がデフォ


​よく見たら脚の裏がイボイボで特徴的なヒィロ​​
 もはや絶滅危惧どころか、ほぼ消滅状態の街の小鳥屋さん。たいてい、薄暗く清潔ではないそこには、愛想の悪い、客を小バカにしたような横柄な態度の店主がいたりしたものだ。
 はっきり言えば、無知で偏狭なだけ。自分の趣味の世界の物差しでしか考えられず、たかの知れた経験や知識を絶対的なものと錯覚した上で、自分をプロ、客をアマチュアと差別しており、それが素直に態度に出てしまう、愛すべき幼稚性を持っているに過ぎないのである。
 が、私は、そうした世間知らずの鳥キチを、むしろ消えゆく昭和の残照として懐古の念を持って見ていたし、今も存在するそうした人を、実に貴重に感じてしまう。もちろん、たかの知れた能書きを鵜呑みにする気はさらさらない。彼らは、いろいろな鳥を飼育してみたい人種だが、自分は文鳥だけと生活したい人種なので、そもそも同じ土俵にはいない。したがって、文鳥を自分の家で飼う事に限れば、はるかに専門家なのは間違いなく、部外者の好事家親爺の意見など、馬耳東風、まともに相手にする気にもならない。
 結構、接客態度に腹を立てたり、その飼育知識を疑ったりする意見を耳にすることも多く、その気持ちはとてもよく分かるのだが、何であれ、間違っているような気がするアプローチであってさえ、鳥キチは鳥好きには相違ないので、その発する言葉の内容より、何となくの風情を楽しみたいものである。

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