じっとしていそうにないフック(左)
数日来、2歳になったばかりの子を、探し出せずに大騒ぎとなっていた。幸い、機転の利く経験豊かな方が、遠方からボランティアで駆けつけて救助されたが、なかなか考えさせられる事件であった。
本来行きつくべき家から500メートルほど離れた場所で発見されたのだが、テレビの報道を見れば、その家の前の舗装された道をたどって、道が途絶えた先をほんの少し山に入ったところに過ぎなかったのである。したがって、無責任な部外者の私は、小さいために歩く際の目標は目先の路面だけで、引き返すという思考が出来ない『生き物』の行動さえ想像できれば、まさにそこに居るはずの場所にいただけで、特に意外なことではなかったように思えた。つまり、後になって冷静に考えれば、人間の大人の思考にとらわれて探して、「灯台下暗し」に陥っていたように思えたのである。見える場所の家を見失うはずがない、とか、迷えば引き返すはず、などと言うのは、大人の思い込みに過ぎないが、案外盲点なのかもしれない。
さて、飼い主の不注意で自分の文鳥を野外に出してしまい、迷子にしてしまう事故は、往々にして起きる。これを「逃げた」とか「逃がした」と表現する人もいるが、もちろん、それは止めねばならない。それは、2歳児を迷子にさせた親など責任のある大人が、同様の表現をしたら不思議に思われるくらいに、おかしなものだからだ。文鳥は野外に出たくて出たのではなく、そういった状況に飼い主が不注意で追いやってしまったに過ぎない事実を、見失うような表現は許されるべきではないのである。
ともあれ、屋外に出てしまった文鳥は、見知らぬところで、まさに途方に暮れることとなる。そして、多くの場合は、今回の2歳児君同様に、そこにじっととどまって、奇跡を起こすことにもなる。皆さんは、窓から文鳥を迷子にさせてしまった飼い主が、さんざん探したが見つからなかったのに、数日後、突然、同じ窓から愛する文鳥が戻ってきた、と言った経験談を耳にされたことはないだろうか。そういった幸運に恵まれた飼い主は、迷子の文鳥が、野鳥のスズメなどと一緒になって生きながらえながら、自分の家を探し回って、ようやく数日後に見つけたのだと、解釈していたりするものだ。
しかし、それは、まず間違いなくハズレである。母をたずねて三千里旅する判断能力は、遺憾ながら、2歳児や文鳥には無い(赤ん坊に近い子どもは目の前に目的地があっても通りすぎるし、文鳥に至っては自分が住んでいる家の外観も知らない)。それではどうしてそのような奇跡が起きるのかと考えれば、迷子になった現場からほど近い場所に身を潜めていて、それを飼い主が発見できずにいたが、数日後、(生命の危機から気力を取り戻した)文鳥の方が飼い主の存在に気づいて飛んできた、と見なすのが妥当となる。
大人は絶えず思考し判断を下し行動するので、無意識のうちに能動的な生き物になっているが、弱い者が見知らぬ環境に陥れば、普通、ひたすら受動的なのである。そして、どうして良いかわから無い状況では、じっとして体力を温存して誰かの救助を待つのも、現実的な正しい選択肢の一つには相違なく、仲間の声が聞こえれば、それは安全な印なので、『省エネ休眠モード』を解除して活動を開始するのこそ、実に理にかなっていると言えるのである。
ともあれ、屋外に出てしまった文鳥は、見知らぬところで、まさに途方に暮れることとなる。そして、多くの場合は、今回の2歳児君同様に、そこにじっととどまって、奇跡を起こすことにもなる。皆さんは、窓から文鳥を迷子にさせてしまった飼い主が、さんざん探したが見つからなかったのに、数日後、突然、同じ窓から愛する文鳥が戻ってきた、と言った経験談を耳にされたことはないだろうか。そういった幸運に恵まれた飼い主は、迷子の文鳥が、野鳥のスズメなどと一緒になって生きながらえながら、自分の家を探し回って、ようやく数日後に見つけたのだと、解釈していたりするものだ。
しかし、それは、まず間違いなくハズレである。母をたずねて三千里旅する判断能力は、遺憾ながら、2歳児や文鳥には無い(赤ん坊に近い子どもは目の前に目的地があっても通りすぎるし、文鳥に至っては自分が住んでいる家の外観も知らない)。それではどうしてそのような奇跡が起きるのかと考えれば、迷子になった現場からほど近い場所に身を潜めていて、それを飼い主が発見できずにいたが、数日後、(生命の危機から気力を取り戻した)文鳥の方が飼い主の存在に気づいて飛んできた、と見なすのが妥当となる。
大人は絶えず思考し判断を下し行動するので、無意識のうちに能動的な生き物になっているが、弱い者が見知らぬ環境に陥れば、普通、ひたすら受動的なのである。そして、どうして良いかわから無い状況では、じっとして体力を温存して誰かの救助を待つのも、現実的な正しい選択肢の一つには相違なく、仲間の声が聞こえれば、それは安全な印なので、『省エネ休眠モード』を解除して活動を開始するのこそ、実に理にかなっていると言えるのである。
さて、室内で遊んでいるはずの文鳥の姿が見えず、窓を閉め忘れていた事実に気づいた場合、我々、不注意な飼い主はどのように探したら良いだろうか?
実は、前述のように「2歳児と同じで近くでじっとしてる」と気づいていても、これを発見するのは、じっと座っているだけの2歳児よりはるかに至難なのである。何しろ相手は十数センチの片手サイズの小鳥で、部屋の中でも見失うほどであり、しかも、物陰に潜んでいると見なして、例えば、ベランダの植木鉢などを片っ端からひっくり返し始めれば、驚かせて飛びたたせ、事態を悪化させてしまう危険すら考えねばならない相手なのだ(飛びたった時にスズメなどが飛んでいたら、本能的について行ってしまい、見失うことになる)。
実は、前述のように「2歳児と同じで近くでじっとしてる」と気づいていても、これを発見するのは、じっと座っているだけの2歳児よりはるかに至難なのである。何しろ相手は十数センチの片手サイズの小鳥で、部屋の中でも見失うほどであり、しかも、物陰に潜んでいると見なして、例えば、ベランダの植木鉢などを片っ端からひっくり返し始めれば、驚かせて飛びたたせ、事態を悪化させてしまう危険すら考えねばならない相手なのだ(飛びたった時にスズメなどが飛んでいたら、本能的について行ってしまい、見失うことになる)。
となれば、何となく怪しく思える場所があっても、明るい内は、家の周囲については名を呼ぶにとどめ、暗くなってから「足元」をくまなく点検するのが無難なのかもしれない。
なお、そうした努力が報われず発見出来なくても、特に手乗りであれば、絶望する必要はないと思っている。彼らは、困った時(お腹が空いた時)人の姿を見れば、かならず助けを求める点でも、飴をかじったらしい2歳児と変わらないからである。昔、文鳥の飼育数が今よりけた違いに多かった頃、飼育のきっかけが、窓から飛び込んできたとか、道端で突如肩に降りてきた、などの経験談が多く聞かれたが(私の亡父は野球をして遊んでいた広場で文鳥を「拾って」きたことがある)、文鳥も落ち着きを取戻し空腹に気づけば、そのように救助を求めてくれるはず。となれば、警察に『遺失届』を提出したり、貼り紙などをして探すのは、寸刻を争うほどあわてる必要もないとさえ言えよう。
万一の場合は、数日はどこかで身を潜めているかもしれず、また、すぐに保護され『拾得物』となっているか、飼育されているかする可能性が大きいと考え、少し冷静になりたいものである。
なお、そうした努力が報われず発見出来なくても、特に手乗りであれば、絶望する必要はないと思っている。彼らは、困った時(お腹が空いた時)人の姿を見れば、かならず助けを求める点でも、飴をかじったらしい2歳児と変わらないからである。昔、文鳥の飼育数が今よりけた違いに多かった頃、飼育のきっかけが、窓から飛び込んできたとか、道端で突如肩に降りてきた、などの経験談が多く聞かれたが(私の亡父は野球をして遊んでいた広場で文鳥を「拾って」きたことがある)、文鳥も落ち着きを取戻し空腹に気づけば、そのように救助を求めてくれるはず。となれば、警察に『遺失届』を提出したり、貼り紙などをして探すのは、寸刻を争うほどあわてる必要もないとさえ言えよう。
万一の場合は、数日はどこかで身を潜めているかもしれず、また、すぐに保護され『拾得物』となっているか、飼育されているかする可能性が大きいと考え、少し冷静になりたいものである。
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