W杯は普通では考えられないことが、しばしば起きる。
先日、やらかしてしまったドイツ代表は、当然ながら、国内でボロカスに非難されている。例えばこの記事、コメントしているマテウスと言えば、ベッケンバウアーの後継者、鉄の意志と強烈な責任感から成る不屈の「ゲルマン魂」を体現する人だったので、現代表の選手たちが勝負弱い腑抜け集団に見えてしまっているのだと思う。しかし、そういった古き良き「ゲルマン魂」は復活し得ないので、新たなナショナルカラーでの復活を期待するのが正解ではないかと思う。
何しろ、現在のドイツは、東日本大震災の際に、事故を起こした原子力発電所から200キロも離れた東京の大使館を放棄して逃げ出したように(3月16日、ドイツ外務省が東京や横浜に在住するドイツ人に関西や海外への避難勧告を行い東京のドイツ大使館の「機能の一部」を大阪に移した。といった表現が一部でされていたが、大使を含むドイツ人が17日以降に大阪へ逃避しており、事実上の大使館閉鎖に他ならない)、良くも悪くもよりソフトなお国柄に変貌しているのである(2011年の当ブログ記事にあるように、理性も知性も置き忘れて狼狽してあわてて逃げ出したに過ぎず、何があっても逃げない「ゲルマン魂」の国としてのイメージを崩壊させる行動であった。ただ、逃亡から一か月未満でノコノコ戻ってきてからは、本来の理知的な対処をされて、復興にご協力いただいたのも事実であり、その点も忘れてはならない)。したがって、サッカーのスタイルも、ベッケンバウアーやマテウスの時代と変わらざるを得ない。その点、すでに、緻密なシステム化を得意とするお国柄を生かした結果(規律を重視するのも「ゲルマン魂」、本来的にはプロイセン以来の流儀なので、伝統の精神が完全になくなったわけではなく変質したと見なせる)、最近のサッカー大国ドイツが存在していたのである。今回は、案外短期間に結果が出ていた優秀なシステムに慢心してしまった面があるのかもしれない。
何しろ、現在のドイツは、東日本大震災の際に、事故を起こした原子力発電所から200キロも離れた東京の大使館を放棄して逃げ出したように(3月16日、ドイツ外務省が東京や横浜に在住するドイツ人に関西や海外への避難勧告を行い東京のドイツ大使館の「機能の一部」を大阪に移した。といった表現が一部でされていたが、大使を含むドイツ人が17日以降に大阪へ逃避しており、事実上の大使館閉鎖に他ならない)、良くも悪くもよりソフトなお国柄に変貌しているのである(2011年の当ブログ記事にあるように、理性も知性も置き忘れて狼狽してあわてて逃げ出したに過ぎず、何があっても逃げない「ゲルマン魂」の国としてのイメージを崩壊させる行動であった。ただ、逃亡から一か月未満でノコノコ戻ってきてからは、本来の理知的な対処をされて、復興にご協力いただいたのも事実であり、その点も忘れてはならない)。したがって、サッカーのスタイルも、ベッケンバウアーやマテウスの時代と変わらざるを得ない。その点、すでに、緻密なシステム化を得意とするお国柄を生かした結果(規律を重視するのも「ゲルマン魂」、本来的にはプロイセン以来の流儀なので、伝統の精神が完全になくなったわけではなく変質したと見なせる)、最近のサッカー大国ドイツが存在していたのである。今回は、案外短期間に結果が出ていた優秀なシステムに慢心してしまった面があるのかもしれない。
そして、次にやらかしたのが我が日本代表だ。
我が国も、努力根性義理人情「大和魂」突貫精神うちてし止まん、を現代の日本人に求めても無理であるのは、「ゲルマン魂」のドイツと同様である。明治ノスタルジーから『教育勅語』など引っ張り出したところで、浮ついて身に付かず、昔も良かったかもしれないが昔には戻れないので、「大和魂」のエッセンスとして、勤勉真面目で正直を善とする側面が強調されることになっているのだと思う。そして、そのお国柄を体現してくれているナショナルチームは、ファウル数が少ないと言う、実に「らしい」理由で、負けながらも予選突破を果たした。立派だ!!
しかし、それは結果であって、薄氷の評価に過ぎない。内容に反省すべき点が多すぎたのである。日本の報道だけを見ているとピンとこないかもしれないが、昨夜ロシアのボルゴグラード市で行われた予選の最終戦で、ポーランドに1点差で負けていた日本が、最後の10分間、ゴールを目指さず試合を流したことが、世界を困惑させている。もちろん、フェアプレーに反するといった批判に対しては、「お客さん、それがワールドカップってもんすよ?」とでも言えば済むが、無視してはならないのは、同時に進行中のセネガル対コロンビア戦において、セネガルが1点入れてしまえば、日本の予選敗退となる局面で、なぜボール回しで時間を潰す選択をした、その不可解さについての批判である。この点、北アイルランド代表監督のマーティン・オニールが「監督経験者として、他の試合の行方に運命を託すという決断にはあぜんとした」とBBCにコメントしている(記事)。残念ながらまったく仰る通りで、あ然とする他ない。
あのような戦術?を究極の選択とか勇断などと見なすのは不可能である。もし、セネガルが【普通に】同点に追いついていれば、日本は得失点差でコロンビアに劣るため【普通に】予選敗退となっており、同点になった時点でセネガルとコロンビアが【普通に】流して試合を終え、仲良く予選突破しているのが【普通】の結末だったと、まずは【普通に】理解しなければならない。そして、もし【普通に】そうなっていれば、日本は全世界の笑い者となっていたのは疑いのないところである。そのような簡単な想像が出来さえすれば、他者の偶然の結果に期待して自分で出来る努力を放棄するなど、究極もヘチマもなく、初めからそのような選択肢は有り得なかったのは自明であろう。もし、セネガルが1点取っていれば、パス回しをして予選敗退した日本代表主演の「笑劇のボルゴグラード」が衝撃となって世界を駆け巡り、迷采配をした西野監督は国内で袋叩きになっていたはずだ。
なぜ「マイアミの奇跡」とやらの立役者とされる西野さんが、「笑劇のボルゴグラード」を演出し世界的な注目を集めかけたのか、その論理的説明は不可能だ。論理性が無い。一方で、論理的でなくなった理由なら見いだせる。この試合で、西野さんは6人も選手を入れ替え、それについて試合後に、「勝ち上がることを前提で考えていた。やれる、戦えると。この3戦目で目に見えないダメージがある選手よりも、状態のいい選手を、ということもあった」と正直に答えているように(記事)、ランキング60位台の分際で、実力はあるはずのポーランド代表を見くびってしまい(ランク8位。ヨーロッパ予選ではグループ1位通過)、結果、たいしてやる気が無くても点が取れる実力はある相手に【普通に】先制され、一方、交代選手は【普通に】機能せず、むしろこれまでの良いリズムを完全に狂わしてしまい、押さえ込まれてと言うよりひたすら点が取れない日本代表に有りがちな悪癖が【普通に】出て(なぜハリルホジッチが強化試合で勝てず批判されたのかわかっていないのか?)、点を取るための手段が見当たらず手詰まりになっていたと思われる。こうした場合、何しろ大舞台なので、よほどあつかましくなければ、人は【普通に】パニック状態に陥る。そして、パニックの最中で点が取れない場合の次善策として思いついたのが、他力本願でしかない「究極の選択」だったとして不思議はあるまい。つまり、良くも悪くも普通でしかない西野さんが、錯乱の挙句に、溺れる者が藁をつかむ心境で、あり得ない選択肢にすがりついたに過ぎまい。
しかし、西野さんを責めるのは酷だろう。誰であれ、それなりに、大舞台に向けた準備や気構えが必要だが、その時間が無かったのだから、そのような環境に追い込んでいた日本サッカー全体に問題があると考えるべきかと思う。ハリルホジッチさんを監督にしたことも、西野さんに押し付けたのも、日本サッカー協会の稚拙な失態でしかない。全世界に恥をさらす「笑劇のボルゴグラード」にならずに済んだのは、偶然でしかないことを肝に銘じて(くだらぬ言い訳をしないように)、昔、NHK衛星のサッカー中継で解説をしていた会長のタジマコウゾーさんには頑張ってもらいたいものである(もちろん、辞めるのも選択肢だ)。
そして、次にやらかしたのが我が日本代表だ。
我が国も、努力根性義理人情「大和魂」突貫精神うちてし止まん、を現代の日本人に求めても無理であるのは、「ゲルマン魂」のドイツと同様である。明治ノスタルジーから『教育勅語』など引っ張り出したところで、浮ついて身に付かず、昔も良かったかもしれないが昔には戻れないので、「大和魂」のエッセンスとして、勤勉真面目で正直を善とする側面が強調されることになっているのだと思う。そして、そのお国柄を体現してくれているナショナルチームは、ファウル数が少ないと言う、実に「らしい」理由で、負けながらも予選突破を果たした。立派だ!!
しかし、それは結果であって、薄氷の評価に過ぎない。内容に反省すべき点が多すぎたのである。日本の報道だけを見ているとピンとこないかもしれないが、昨夜ロシアのボルゴグラード市で行われた予選の最終戦で、ポーランドに1点差で負けていた日本が、最後の10分間、ゴールを目指さず試合を流したことが、世界を困惑させている。もちろん、フェアプレーに反するといった批判に対しては、「お客さん、それがワールドカップってもんすよ?」とでも言えば済むが、無視してはならないのは、同時に進行中のセネガル対コロンビア戦において、セネガルが1点入れてしまえば、日本の予選敗退となる局面で、なぜボール回しで時間を潰す選択をした、その不可解さについての批判である。この点、北アイルランド代表監督のマーティン・オニールが「監督経験者として、他の試合の行方に運命を託すという決断にはあぜんとした」とBBCにコメントしている(記事)。残念ながらまったく仰る通りで、あ然とする他ない。
あのような戦術?を究極の選択とか勇断などと見なすのは不可能である。もし、セネガルが【普通に】同点に追いついていれば、日本は得失点差でコロンビアに劣るため【普通に】予選敗退となっており、同点になった時点でセネガルとコロンビアが【普通に】流して試合を終え、仲良く予選突破しているのが【普通】の結末だったと、まずは【普通に】理解しなければならない。そして、もし【普通に】そうなっていれば、日本は全世界の笑い者となっていたのは疑いのないところである。そのような簡単な想像が出来さえすれば、他者の偶然の結果に期待して自分で出来る努力を放棄するなど、究極もヘチマもなく、初めからそのような選択肢は有り得なかったのは自明であろう。もし、セネガルが1点取っていれば、パス回しをして予選敗退した日本代表主演の「笑劇のボルゴグラード」が衝撃となって世界を駆け巡り、迷采配をした西野監督は国内で袋叩きになっていたはずだ。
なぜ「マイアミの奇跡」とやらの立役者とされる西野さんが、「笑劇のボルゴグラード」を演出し世界的な注目を集めかけたのか、その論理的説明は不可能だ。論理性が無い。一方で、論理的でなくなった理由なら見いだせる。この試合で、西野さんは6人も選手を入れ替え、それについて試合後に、「勝ち上がることを前提で考えていた。やれる、戦えると。この3戦目で目に見えないダメージがある選手よりも、状態のいい選手を、ということもあった」と正直に答えているように(記事)、ランキング60位台の分際で、実力はあるはずのポーランド代表を見くびってしまい(ランク8位。ヨーロッパ予選ではグループ1位通過)、結果、たいしてやる気が無くても点が取れる実力はある相手に【普通に】先制され、一方、交代選手は【普通に】機能せず、むしろこれまでの良いリズムを完全に狂わしてしまい、押さえ込まれてと言うよりひたすら点が取れない日本代表に有りがちな悪癖が【普通に】出て(なぜハリルホジッチが強化試合で勝てず批判されたのかわかっていないのか?)、点を取るための手段が見当たらず手詰まりになっていたと思われる。こうした場合、何しろ大舞台なので、よほどあつかましくなければ、人は【普通に】パニック状態に陥る。そして、パニックの最中で点が取れない場合の次善策として思いついたのが、他力本願でしかない「究極の選択」だったとして不思議はあるまい。つまり、良くも悪くも普通でしかない西野さんが、錯乱の挙句に、溺れる者が藁をつかむ心境で、あり得ない選択肢にすがりついたに過ぎまい。
しかし、西野さんを責めるのは酷だろう。誰であれ、それなりに、大舞台に向けた準備や気構えが必要だが、その時間が無かったのだから、そのような環境に追い込んでいた日本サッカー全体に問題があると考えるべきかと思う。ハリルホジッチさんを監督にしたことも、西野さんに押し付けたのも、日本サッカー協会の稚拙な失態でしかない。全世界に恥をさらす「笑劇のボルゴグラード」にならずに済んだのは、偶然でしかないことを肝に銘じて(くだらぬ言い訳をしないように)、昔、NHK衛星のサッカー中継で解説をしていた会長のタジマコウゾーさんには頑張ってもらいたいものである(もちろん、辞めるのも選択肢だ)。
そろそろ忙しくなるので、上記のような無駄話をする機会も少なくなるだろう(イングランドがんばれ~。日本、恥かかない程度にがんばれ~)。ここのメインテーマは文鳥である。
当然のごとく、16代目のツインズは、早々の梅雨明けで真夏の暑さになっているのも無関係に、実に健やかにお育ちだ。いつも「ゲッゲッ!」とエサをねだっている。両親の健闘を祈りたい。
当然のごとく、16代目のツインズは、早々の梅雨明けで真夏の暑さになっているのも無関係に、実に健やかにお育ちだ。いつも「ゲッゲッ!」とエサをねだっている。両親の健闘を祈りたい。
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