正直言えば、サッカーのW杯では、にわかイングランドファンになるので、日本代表のことはあまり気にしていない。もちろん、コロンビアに勝ったのはえらいが、褒めるのは決勝トーナメントに出てからで良いだろう、程度に覚めている。
なぜ、我が日本国の代表、ナショナルチームに対し、なぜ、渋谷で騒いでいる坊ちゃん嬢ちゃんたちのように純粋でとりあえず健全なナショナリズムに身をゆだね、熱を入れて応援しないのか、と問われたら、年寄りだから、と言う以外にもそれなりに理由はある。
物心ついて少年サッカーなどをしている頃、我がナショナルチームはW杯に姿が無かったのだ。これでは応援しようがあるまい?ではどうしたかと言えば、仕方がないので、自分の好みに合う強豪国を応援したのである。ドイツ(西ドイツ)、イタリア、スペイン、オランダ、フランス、イングランドなどなど欧州勢、ブラジル、アルゼンチンなどの南米勢、その中で私が贔屓に選んだのはイングランドで、イギリスという国については好きでも何でもないが、サッカーに限ってはイングランドを応援し、その外国の旗を大会期間中はプロチームのロゴのごとく感じてしまう「進化」を遂げてしまったのである。
そういった不幸?な時代に終止符が打たれそうになったのが、世に言う「ドーハの悲劇」が起きるアジア予選だった(1993年)。もちろん、それはそれは熱心に応援したわけだが、結果はイラクにロスタイムに追いつかれW杯初出場を逃した。あれ、「悲劇」ではなかった。当時、リアルタイムで見ていて泣いた人は少なかっただろう。テレビの前で口を開けて呆然とするのみ。しばらくして、「あ~~あ、やっぱりまた駄目だったか~」と脱力したまま寝てしまい、プレー自体は間抜けなミスの積み重ねで、また不必要に同点にした相手の行動も意味不明で、悲劇と言うより喜劇に近いなどと考えることもできず、ミスを責めたり相手に怒ったり不運を嘆いたりする気にもならなかった。
つまり、W杯に出るのは当たり前になってから物心ついた幸福な人たちとは、ジェネレーションギャップがあるわけだ。しかし、ベテランが中心であれば、この大会後、また暗黒時代がやってくる可能性も無きにしも非ずで、少し不安に思わないでもない。せっかくなので、日本以外の国で贔屓をつくって観るのもお勧めである。
それはともかく、↑、誰だ頭からこけているのは!そこで、アップにして見ると↓、ところどころにヒナ羽毛の痕跡が残り、隣のお付きの者がバタオなので、まず間違いなくウメだとわかる。・・・ウメちゃん脱力感を誘う危ない子である。
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