文鳥のお尻フェチは萌え死ぬがよい
「めんどくせーめんどくせー」と独り言ちつつ年賀状を作った。
ところで、なぜ世の親は年賀状に自分の子どもの画像を使いたがるのであろうか?これが正月に実家に帰って会う親戚なら、年齢を示すことでお年玉の額を間違えないようにとの配慮と見なせるが、本人にすら久しく合わず、ましてその子供など会ったことも無い相手に見せても無意味だろう。ほとんどの人は、見ず知らずの無関係な子供の姿を見せられても、うれしくも悲しくもないはずだが、私の場合はさらに不気味に思えてしまう。もちろん、子宝に恵まれ家庭円満だとのメッセージはわかるし、それは他人事ながら結構なことだが(アレらはテキトーに結婚して首輪につながれていた方が世のためなのだ)、その子の顔にアノ親の面影があったりすると、もう、とても気色悪くていたたまれない。「アレの遺伝子が残るなど地球人類の不幸だ・・・」とまでは言わないが、多少そういったニュアンスを持たざるを得なくなってしまうのである。
アレどもには、はっきり言ってやらないとわからないだろうが、それでは正月早々角が立ちすぎるので、「世の親が年賀状に子どもの画像を用いるのは年齢を示してお年玉の額を間違えないようにする配慮ではあるまいか びた一文あげないでゴメンね!とでもお伝えくだされ」と書いてやった。
そもそも、血を分けた息子なり娘でも別人格なので、勝手気ままに親の付き合いに巻き込むべきものではない。子供には子供の付き合いがあり、自分の世界をつくっていって、やがて親元から離れるのがあるべき姿で、当然、親が何をしても許される所有物とは違う。考えても見られよ、自分自身の画像を貼りつけて「今年も小じわが増えました!」とか自虐ネタに走る勇気はあるまい?でありながら、自分とは他の人には相違ない子供の画像なら平気で使えると言うのは、やはり心得違いと言うものだろう。
たんに面倒なので何も考えず子供の画像を使う親に対し、奇跡的に親に似ないでまともな子に育ってくれたら、やがて自我に目覚めて自分の写真をばらまくのをやめるように言うだろう。その時になってようやく、親である自分がまともでなかったと気付くのようでは、少々哀れである。心当たりのある方は、なるべく早く、子供を所有物と誤認して見せびらかす愚から、足を洗われるようにお勧め申し上げる。
で、年賀状に使いたい今日の画像は(来年はヒナの画像で名前と生後〇日とか書いて送ってやろうかしら)、アラシっ子で売り物の「ナカイ」ちゃん。夜の放鳥にフルタイムで参加してくたびれ、懐で眠ってしまった姿だ。
この子は悩殺するかわいさで、もう一方は平気で他の文鳥とまじってエサをつつき回る天才で、どの子も手放しがたいから、文鳥の魅力はおそろしい。
この子は悩殺するかわいさで、もう一方は平気で他の文鳥とまじってエサをつつき回る天才で、どの子も手放しがたいから、文鳥の魅力はおそろしい。
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