軟派なNHK


紅八朔に夢中なセッちゃん
 セッちゃんの換羽も終盤に入ったな、と思いつつ、以下は文鳥とは関係のない話。

 朝の連ドラの主題歌を桑田佳祐さんが担当しているのに今朝気づいて、隔世の感に包まれた。
 桑田さんとNHKと言えば、1982年の紅白で、着物に白塗り顔の三波春夫のパロディーをして「受信料を払いましょう!」とやらかして(しかも歌は『チャコの海岸物語』。と言っても若い人にはわかるまい。「抱きしめたい」から始まって「浜辺の天使をみつけたのさ」で終わるアホ軟派な湘南ボーイをイメージした歌である)、出禁処分を受けたとされ、他にも「放送禁止などの仕打ち」を受けた(らしい)関係だったからである。
 もちろん、その後、「みなさまのNHK」は大衆のみなさんに迎合して軟らかくなってしまったので、そうした確執?は過去のことになっていたが、まさか爽やかな朝のNHKに桑田佳祐さんのダミ声を聴くとは!
 個人的には、今は消え去ってしまった「ならぬものはならぬ」の頑固さには、ノスタルジーを感じる。ブログに書いたことがあったか失念したが、桑田さんもスカ線(JR横須賀線)に乗って通った、その高校に教育実習にうかがった際、在学当時担任だった中村先生と実習の指導を賜った和田先生におごって頂き、鎌倉の小町通り裏の居酒屋から駅前のビル地下のカラオケスナックへまわった際、仕方ないのでサザンオールスターズの『希望の轍』を熱唱して、中村先生に驚かれたことがあった。「あいつは、こんな歌も歌うのか」と妙に感心されたわけである。
 桑田さんの在学時代を知る先生は、おそらくその当時の印象と『勝手にシンドバット』『気分しだいで責めないで』といったデビュー当初の作品により、クワタ=軟派、の動かしがたい心証を得て、その後のバラード風の楽曲などろくに聞きもしなかったものと思われた。何しろ、中村大先生は、身長はミニマムだったが、大昔のバンカラ気風が残っていた男子校の剣道部で顧問を務める硬派であり、口癖は「華美(カビ)ですね」だったので、1982年の紅白パフォーマンスのごとききらびやかなおふざけは、刀の錆にすべき対象にしか映らないに決まっていた(NHKには苦情殺到だったと聞く。昔の日本人やNHKは謹厳実直なのだ)。
 考えてみれば、この中村先生の頑固親父な固定観念により、桑田さんの野望?が阻止されたのではないかと推測される事件がある。桑田さんは2003年に、鎌倉の建長寺門前でミニライブを行っているのだが、このライブ、ロケハンを知る者としてはいかにも不自然だったのだ。何しろ門前の横の母校の校門をくぐれば(「タカナシ」はもう無いらしい。あそこで『チェリオ』を買って飲まずに鎌学出身者になってしまうなんて・・・、今の子はかわいそうだなぁ)、それなりに広いグラウンドがあり、今はどうかは知らないが、正面奥は見上げるばかりの高い崖がしっかり舗装されていて、それを背に(近隣住人の騒音被害を無視して)歌えば、正面から両サイドの校舎に向かって御あつらえの演台になったはずなのである。つまり、わざわざ手狭な建長寺前の駐車スペースを利用することなどない。
 残念ながら真相を本人に尋ねる機会を得なかったが、中村先生が関与していれば(教頭をされている時期ではないか?)、「軟派なあのクワタ」が調子に乗ってライブなどと言う華美の極みを目論んでいると見なし、テレビ局の人たちがいかに(軽い気持ちで)説得しても、使用許可は絶対に出さなかったに相違ない(何でも許されると思うのが間違いだと、増長を諭したくなるのは、おそらく、教育者の職業病)。そうしたおもねらない頑固さは迷惑だが、時がたつほど有難いものに思える。
 せっかくなので、ヤマガミ(山上のはず)先生の思い出も書いておく。残念なことに、マラソン選手を育てる役には立たないらしい箱根駅伝で活躍し、「山の神」と呼ばれた選手が引退したというニュースがあったので、思い出したのだ。
 高校在学時代の3年間、保健体育は担任の中村先生の指導下にあったので、恰幅がよく、勝新太郎のような太眉の精悍な赤ら顔で、在学時代は番長として君臨していたなどと側聞することはあっても(教師にOBが多かった)、その恐ろしげな人との接点がなく、建長寺境内の坂道を50㏄バイクで登っていく姿を見かけただけだった(そのような反則技をする人は他に知らない)。ところが、教育実習の際、あいにくなのか幸運なのか、席が近いところにあって(斜め前の並び)、親しく声をかけていただいたのである。
 親しく?そう、「あいさつはどうした~!!」と、一喝されたわけだ。もちろん、挨拶はしていたのだが、私と同輩柴田君(たぶん今はお坊さん)による、少し離れた位置で普通の声で普通に頭を下げるだけで、視線が合わなければ一礼するくらいの普通の態度が、お気に召さなかったらしい。もちろん、その後、毎朝、わざわざ先生の横に出頭して、最敬礼せんばかりに背筋を伸ばして大きな声であいさつして、きっちり頭を下げ続けたら、ずいぶん気に入って頂いて、ニコニコといろいろお話を聞かせていただいた。世間話に過ぎないが、元大番長の風韻に接することが出来たのは、幸運であった。
 硬派で頑固でおっかない親父は、いずれも懐かしいけれど、真似できないのは、ご時勢と言うものだろう。

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