諌められるべきは


気楽な性格でもかなりビビリなアリィ
 お店の店主として情報発信するツールが貧弱だと、今更気付いて、さきほどブログ(『文鳥屋店主 敬白』)を開設したので、ご報告しておきます。自分が使用している用品やエサについて、露骨にごちょごちょ書くだけかと思いますが、たぶん、本音に近いスタンスではないかと思います。なお、アメーバなのはたまたまです(使い方がまだまるでわからないので、ただベタ打ちしただけです)。
 さて、昼、ソウテイを含めたウチの子その他の短時間放鳥の際、アリィが出てきてしまい、騒動になった。彼は、指に乗らないし捕まらないし、自分で帰れないのだ。そして、焦燥のあまり、「無理に出てきたんだから、自分で帰れ!」と迫ったのがいけなかった。さほど追い掛け回したわけでもないのに、息を切らして、捕獲したら、目を回してしまった。つまり、てんかん的発作を起こし、目をつぶり口を開いて、しばらく呆然とした様子になってしまったのだ。
 これが癖になってはマズイ。アリィを口で脅すのは、厳に慎まねばならない。
 さてさて、懲りずに時事ネタで天皇陛下のご譲位問題。
 意見聴取に応じられた日本中世の研究者として著名な今谷明さんのご見解を拝見して(記事)、いろいろ不思議に思えた。
 まず、「内閣が陛下おいさめを」とされているが、内閣はそのような立場にないと思った。「諌める」とは、「目上の人に不正や欠点を改めるよう忠告する。諫言する」ことだが、天皇と内閣に上下関係はないので、諌めたり諫められたりする立場ではない。もちろん、昔は違った。大日本帝国憲法第55条には、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」とあり、内閣は天皇親政の元でそれを補佐する役割とされていたので、諌言するのもその職能と見なせる。しかし、現在の日本国憲法では、第3条「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」とあり、その国事も儀礼的なものに憲法で限定され、それを行うに際して、天皇は内閣からアドバイスを受ける立場と規定されている。自分の意思でその地位を退くことすら許されないお立場に対し、実質上、指導監督する立場の内閣が、何を言っても諌言にはなるはずがないではないか。
 「君臨すれども統治せず」が天皇制の長い歴史の中で、正常なあるべき姿で、「明治以後、天皇が統治権にも関わるようになった。統治権を総攬する、と。歴史的にみるとこの方が異例」と見なす点に異存はないが、それを承知していながら譲位を認めなければ、論理矛盾になると思う。「君臨すれども統治せず」だからこそ、古の天皇は譲位するのが当たり前だったのであり、「君臨すれども統治せず」の本場イギリスの王室は、時の国王が王位を投げ出したところで、国の根幹は揺るがないのである。一方で、終身天皇制の考え方は、歴史的に見て異例な明治以降、天皇を絶対君主と規定した大日本帝国憲法の元で、その必要性から生まれた異例な制度に過ぎない。天皇の在り方が常態に戻っているにも関わらず、なぜ譲位に関してのみ、異常な制度を墨守しなければならないのだろうか。
 このように歴史的に考えてさえ、大日本帝国憲法の元で生まれた終身天皇制を、日本国憲法の下で継続するのは、そもそもおかしいのことは明白だと思う。それは、墨守する必然性がない、と言って良いかと思う。終身天皇制は、確かに、絶対君主とされた天皇の権力が分裂する危険性を防止するのに有効だったかもしれないが、そもそもその権力を持たない現在の天皇陛下にその必要性は皆無だ。日本国憲法により、天皇の権力を奪っておきながら、譲位について、大日本帝国憲法の下でのみ有り得た一時的例外措置にこだわるようでは、悠久の歴史を見誤ることにもなるだろう。反対している有識者の皆様にも、ご再考いただきたいものである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました