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トウモロコシをかじってみているヒノ
2世が誕生するかは神のみぞ知るだが(最近我が家は無精卵続きとなっている)、アラシとヒノは、着実に夫婦らしくなっている。今夜も、アラシが先導し、ヒノに帰宅の仕方を教える状況が見受けられた↓。実に喜ばしい。
さて、苦々しい時事をば。
天皇陛下のご譲位についての有識者とされた人たちのご意見を仄聞するに、いわゆる保守の論客とされる人たちの限界を感じた。頭がカチコチで、およそ自由民主主義にそぐわず、人間性を無視し、形骸化された制度を墨守するのに汲々とするのみ。がっかりである。皇室典範であれ何であれ、時代にそぐわないものは改めて漸進させなければ、保守など成立するはずがないと思う。墨守と保守は違うのだ。
それよりも、個人的には東日本大震災を契機に、福島から横浜へ移住した少年が、学校で同級生による恐喝などの犯罪行為を受け、教育側がそれに適切な対応をしなかった件は、ショックであった。なぜなら、横浜の良い点と言えば、「三代続いた江戸っ子」に対し、「三日住めばハマっ子」とされるほど、他地域からの移住者に寛容で、その気質に三日で染まってしまうなら、言葉に訛りがあろうと異国人であろうと、ハマっ子と称して構わないとする気風だと信じていたからである。加害者側は横浜で生まれ育ったガキに相違ないが、たまたま横浜に住んでいるだけで、まったく情けない者たちだと思った。
天皇陛下のご譲位についての有識者とされた人たちのご意見を仄聞するに、いわゆる保守の論客とされる人たちの限界を感じた。頭がカチコチで、およそ自由民主主義にそぐわず、人間性を無視し、形骸化された制度を墨守するのに汲々とするのみ。がっかりである。皇室典範であれ何であれ、時代にそぐわないものは改めて漸進させなければ、保守など成立するはずがないと思う。墨守と保守は違うのだ。
それよりも、個人的には東日本大震災を契機に、福島から横浜へ移住した少年が、学校で同級生による恐喝などの犯罪行為を受け、教育側がそれに適切な対応をしなかった件は、ショックであった。なぜなら、横浜の良い点と言えば、「三代続いた江戸っ子」に対し、「三日住めばハマっ子」とされるほど、他地域からの移住者に寛容で、その気質に三日で染まってしまうなら、言葉に訛りがあろうと異国人であろうと、ハマっ子と称して構わないとする気風だと信じていたからである。加害者側は横浜で生まれ育ったガキに相違ないが、たまたま横浜に住んでいるだけで、まったく情けない者たちだと思った。
ハマっ子気質とは何かを考える際に、「港のメリー(マリー)」に対する、地域住民の接し方が好例となる。「港のメリー」とは、美化され舞台化されてもいるが、実際は第二次大戦で日本が敗北した後、戦勝側の進駐軍(ほとんどがアメリカ合衆国軍)の兵士を相手に売春行為をしていた娼婦たち(通称「パンパン」)の成れの果ての老婆で、顔を真っ白に塗り全身白づくめのドレスに身を包み、昼日中の横浜市の中核部(関内・伊勢佐木町)を徘徊していた人物である。1990年代まで娼婦を続けていたのは周知のことで、その異形の老娼婦が、真昼間に人通りの激しい商業地域をフラフラフワフワウロウロしているかと思えば、目つきなど一点に固定されているものの、どこを見ているのか見ていないのかすらわからない、精神を病んでいる人に多い表情で、ベンチなどに腰掛け所在無げに佇んでいたものだ。
事情を知らない人は、この奇異な老婆に興味を示し、何やら大都市の風景の一部として名物のように思えたはずで、それが住所不定の娼婦だと知れば、そのような存在を許している、あの地域の人々、つまりハマっ子が人情の厚い、ハートフルな人たちだと錯覚しても不思議はない。しかし、それはハマっ子の特質を知らないための誤解に過ぎない。なぜなら、周辺の商店主や住民は、そのほとんどがこの老婆に好意を持っておらず、「メリーさん」などとさん付けで呼びもしなかった。それはそうだろう。いかれた婆さんが店先を彷徨かれたら商売に触るし、住む者にとっては風紀上甚だ迷惑に相違ないのだ。こうした嫌悪感は、ハマっ子も他の地域の人たちと同じである。
違いはその対応だ。もし、あのような存在が横浜市のあの地域以外に存在していたら、水をかけられ石をぶつけられ迫害されるか、行政や慈善団体によって保護されたに相違あるまい。ところが、ハマっ子たちは、苦虫を噛み潰した表情で白眼視しながらも、放っておくのである。それもそのはずで、この都市は、浜辺の寒村から短期間で急成長した歴史を持っており、その際、他地域から種々雑多な人々が群がり集まったので、誰がどこから来て何であれどうであれ気にしてはいられず、現在只今、もしくは将来において、何か自分の障害にならない限り、関与しない態度でなければ生きていけなかったのである。
違いはその対応だ。もし、あのような存在が横浜市のあの地域以外に存在していたら、水をかけられ石をぶつけられ迫害されるか、行政や慈善団体によって保護されたに相違あるまい。ところが、ハマっ子たちは、苦虫を噛み潰した表情で白眼視しながらも、放っておくのである。それもそのはずで、この都市は、浜辺の寒村から短期間で急成長した歴史を持っており、その際、他地域から種々雑多な人々が群がり集まったので、誰がどこから来て何であれどうであれ気にしてはいられず、現在只今、もしくは将来において、何か自分の障害にならない限り、関与しない態度でなければ生きていけなかったのである。
白い薄汚い老婆がいて、それが現在進行形で、夜の裏通りで客引きをしている娼婦であることを知っていて、店先のベンチなどに腰を下ろされボンヤリしているのを見て、苦々しく思っていても、店内に入り込んで悪さをしない限り、何もしないししてやらない。これが、ハマっ子である。野良猫に例えれば、石や水をかけるようなことはしないが、逆にエサなどを施す気などサラサラない。およそ現実主義的で個人主義的で、飛び抜けてドライなのである。
娼婦のでまかせ話に耳を傾ければ、同情する人もいるかもしれないが、そもそも話しかけないし、何かの間違いで話を聞いても、聞き流すだけで深入りはしない。これは都会的で冷たい態度のようだが、そうした土地柄だからこそ、港のメリーのような者が存在し得たし、本人も居心地が良かったものと思われる。同情され、根掘り葉掘り聞かれ、悲劇の人としてチヤホヤされたら、最初は気分も良いかもしれないが、言ってることはデタラメに決まっているので(調べた人がいて、事実デタラメなのである)、やがて居心地が悪くなる。
今回の件を考える時、ハマっ子らしからぬガキども、「自主避難」とする親の元で転居先に心理的に馴染みにくくなっていたであろう少年(何年も住んでいたのにハマっ子になる気持ちになれない)と、ドライな放置を信条とする気風にかまけて、責務をサボった教育者や行政が、悪い方向で歯車が合ってしまったものに思える。甚だ遺憾だ。
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