あいちトリエンナーレの一部展示について、「インコ・オウムのレスキュー団体」である「認定NPO法人TSUBASA」さんが、いろいろ改善のご指導と実践をされたそうで、ブログにおいてご報告されている(コチラ)。
【抜粋】
このイベントの開催にあたって、事務局側は「専門家」に相談して行われたものです。
しかし「専門家」にもいろいろな「専門」があります。
今回、このような事態に陥ったのは、「専門家」の選択に問題があったことは否めません。
いまから「もし」は通用しませんが、「専門家」ではなく、「もし」愛鳥家の気持ちを事前にヒアリングができていれば、尊い命を失うことを最小限にできたと思います。
まず、この場合の専門家がいるとすれば、小鳥屋さんのおっちゃんや「愛鳥家」や『TSUBASA』のような慈善団体関係者ではなく、小鳥の広い展示スペースを持つ動物園などの施設の飼育担当者くらいではないかと思うが、そういった発想を、そもそも小鳥の飼育に疎い人に求めても、無理だろう。つまり、選択するための選択肢がほとんどなく、あっても気づかないのが普通なので、事後に指摘するのはアンフェアに思える。
当然、「尊い命を失」うリスクを避けるには、このようなアートのオブジェの一部として生き物を扱う無茶な試みはしないのが最善なので、「愛鳥家」の気持ちを事前にヒアリングしたら、この企画は成立しなかったに相違あるまい。つまり、『TSUBASA』さんの主張は、そうあって欲しかったとの、事後の願望であって、現実的なものとは言えない。
この場合、アーティストなり主催者が考えるべき主題は、展示をいかに成功させるかで、具体的には、不快を感じさせず好意を持たれるのに効果的な展示を、必要最低限のコストでどのように実現するか、のはずである。残念ながら、個々の小鳥の生命を最優先して、それを目的に全てを傾注する愛鳥家の感覚とは、始めから違う。したがって、愛鳥家の私は、軽率なことをしたと思いつつも、主催者側の立場で考える必要を感じ、そうすると別の面で残念に思えている。それは、せっかく文鳥やセキセイなどの「生産」が盛んで、HOEIなどケージ会社や古くからの飼料会社その他飼鳥関連業者が多数所在する愛知県で実施しながら、そうした企業に協賛させなかったのはもったいない、といったことである。もしそうした企業の存在を知って相談していれば、展示の仕方や生体の扱い方について、有効なアドバイスを得られたのではないかと思う。
この場合、アーティストなり主催者が考えるべき主題は、展示をいかに成功させるかで、具体的には、不快を感じさせず好意を持たれるのに効果的な展示を、必要最低限のコストでどのように実現するか、のはずである。残念ながら、個々の小鳥の生命を最優先して、それを目的に全てを傾注する愛鳥家の感覚とは、始めから違う。したがって、愛鳥家の私は、軽率なことをしたと思いつつも、主催者側の立場で考える必要を感じ、そうすると別の面で残念に思えている。それは、せっかく文鳥やセキセイなどの「生産」が盛んで、HOEIなどケージ会社や古くからの飼料会社その他飼鳥関連業者が多数所在する愛知県で実施しながら、そうした企業に協賛させなかったのはもったいない、といったことである。もしそうした企業の存在を知って相談していれば、展示の仕方や生体の扱い方について、有効なアドバイスを得られたのではないかと思う。
『TSUBASA』のような団体が必要とされているのを見れば明らかなように、残念なことながら、不衛生で問題の多い小鳥屋さんなどの業者は、いまだに存在している。それらは何十年にもわたって継続されたものが多く、あまり昔のことを知らない今の飼い主には案外に思われるかもしれないが、店の責任者当人たちには罪悪感がない。今現在の感覚で見れば、虐待でしかない飼育環境であっても、当事者の主観では紛れもなく何十年も前から行ってきた方法で、その方法で「愛鳥家」の自分が「飼っている」感覚なのである。したがって、一方的に、加虐した犯人のごとく糾弾されても、承服できなくて当たり前なのである。
このように、「専門家」ではない「愛鳥家」としての側面だけでも、それは多様なのである。もし、自分たちと問題意識を共有する者だけが「愛鳥家」だと思うとしたら、相手のことを理解するのは不可能で、客観的に全体の問題点を掌握するのは難しくなり、相手の理解を得ながらの問題解決は、遠のいていくように思える。
さて、『TSUBASA』さんのブログを拝見すると、靴裏の消毒の徹底をお勧めになられたようだが、私に言わせれば、ペットショップの出入りにおいてそれが義務付けられていない現在にあっては、それは過剰な処置でしかない。もちろん、それが可能ならそのようにしたほうが万全だが、何しろ、猫カフェやら何やらを何も問題なしと見なす程度の風潮なのに、小鳥に関してだけ、それを薦めれば、かえって誤解を招くだけになる(小鳥=感染症のリスクが高いと、事実を無視したイメージをミスリードすることになる)。
ニャンコなりワンコなり、それとの接触を売り物にする飲食!店が流行っているが、不衛生で意識の低い者を含む不特定多数の客と接触させれば、当然、そこで使役される生き物への病気の感染リスクは高まる(「猫好き」は無邪気に野良猫と戯れるが、野良はかわいそうなことに病気持ちでない方が珍しいのが現実)。そして、そうした店で、接触を楽しんだ飼い主が家に帰って自分の猫に接すれば、わざわざ家の中に病気を持込むキャリアの役割を果たし、自分の愛猫の生命を脅かすことにもなってしまう。
しかし、そういったリスク面のみに注目したら、動物病院になど近づけないのではなかろうか?何をどのように消毒しようと、待合室は病原菌の汚染を避けられないし、では、飼い主は靴の消毒をさせられているだろうか?もっと言えば、人間の大病院など、感染症を拾うには格好のスポットだが、手指のアルコール消毒を推奨する以上の対処がなされているだろうか?
つまり、実に勤勉で真面目な「愛鳥家」の一部の衛生意識は、現在の社会的感覚からは、いまだに、大きく過剰、と言わねばならない。この点、何らかの「専門家」のミスリードに洗脳されている可能性もあるので、理想とは別に、少々考えていただきたいところだ。
ところで、2013年8月末に、千葉市動物公園においてベニコンゴウインコの射殺事件が起き、執拗にこのブログで取り上げたのを、記憶されている方もいるかと思う。かいつまんで言えば、飼育員のミスで外に飛び立った大型インコ1羽(まだ『幼児』)を、動物園の飼育員が総出で、開園したまま何日にもわたって追い掛け回した挙句に、動物園所属の獣医師が麻酔銃で撃ち殺し、それをわざわざテレビクルーに取材させるオマケ付き、というもので、およそ飼育のプロ的要素や生命を尊重する精神が感じられないものであった。従って、インコのことは門外漢の私ですら腹に据えかねたわけだが、一般の「愛鳥家」が期待する専門家の専門性などシロウト未満にお粗末なこともある好例にはなった。
当時、「インコ・オウムのレスキュー」の「専門家」の愛の手が、憐れなベニコンゴウインコの子どもに及ばなかったのは、返す返すも残念だったが、ともあれ、専門と言えどもいろいろで、鳥を愛する気持ちもさまざまなので、適正か不適正かしっかり自分で見極めることができるように、思い込みや偏りに陥らないようになるべく気をつけたいものだと思う。
ついでに、栄養面について補足しておきたい。飛翔を必要として体力を消費する環境では、エネルギー不足の栄養失調状態に陥る危険性が大きいと、昨日書いたが、もう一つ注目すべき栄養素を忘れていた。塩分(ナトリウム)である。
日本人の食生活では、塩分過剰が問題視されるので、何となく小鳥にも塩分を避けさせようとする飼い主(獣医などの「専門家」らしき人を含む)が多いのだが、塩分が不足しても大きな問題が起きる。ナトリウム欠乏症と呼ばれ、血圧が低下して元気がなくなって、さらにはショック症状を起こしたり、低ナトリウム血症で筋肉に痙攣症状が起きて、さらには昏睡状態に陥ったり、「塩喪失性腎炎」と呼ばれる腎臓疾患を引き起こす。飛び回ると、それだけ代謝が激しくなり、フンも多く排泄され、その中には塩分も含むので、活発なら活発なほど、ナトリウム不足となりやすくなる。それは、人間の熱中症対策として、水ばかり飲まずに塩分を摂取する必要があるとされるのと同じだが(水ばかり飲むと水中毒【低ナトリウム血症】を起こす)、小鳥のことになると、気づいてやれないことが多いかと思う。
「トリエンナーレ」の小鳥も、その食餌内容から見て、ナトリウム欠乏症の疑いがあるだろう。
最後に老婆心だが、豆苗は、栄養面と日持ちする与え方を考えれば、「トリエンナーレ」においてはベターな選択だと思うが、たんに水に浸けた状態で与えると、衛生面で問題となる点を指摘しておく。豆の部分が腐食しやすいので、あのような与え方では、誤ってかじって食中毒を引き起こす危険性がある。あれは緊急時の対応でなおかつ日持ちさせる必要性を優先させたもののはずなので、その点誤解の無いように願いたい。
最後に老婆心だが、豆苗は、栄養面と日持ちする与え方を考えれば、「トリエンナーレ」においてはベターな選択だと思うが、たんに水に浸けた状態で与えると、衛生面で問題となる点を指摘しておく。豆の部分が腐食しやすいので、あのような与え方では、誤ってかじって食中毒を引き起こす危険性がある。あれは緊急時の対応でなおかつ日持ちさせる必要性を優先させたもののはずなので、その点誤解の無いように願いたい。
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