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トウモロコシを独占するポン
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押さえつけて食べるポン
「生きるために食べよ、食べるために生きるな」。は、人間としてならもっともな話だが、食い意地が有ると無いでは、生命への執着の大きさが違ってくるのも事実だと思う。つまり、食い意地が汚いほど簡単には死なない。この食い意地こそ、「食べるために生きる」ことに直結するものに思えるが、実際は生きるために必要な欲望で、「生きるために食べよ」の原動力なのだ、と、老齢や病気の文鳥の様子を見ていると、納得させられる。
「生きるために食べよ」は、まさに文鳥などの普通の生き物のありかたで、生きるためには、食に対して貪欲でなければならない。↑などは、実に感動的な生きる姿ではないか。健全な方の脚で押さえつけて食べる技など、よほど巨大な食い意地の所産でなければなるまい。食い意地を張って、さらに長生きしていただきたいものだ。
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