ダメ亭主の能書き

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夜はキミョーに付きまとう魔性のノブ
 
 ノブが「握り文鳥」になってくれるつもりか、午後のごく短時間4羽(アラシ・フィン・ジョー・ノブ)だけ放鳥の際、手の中にもぐりこんできた。
 メス確定の子に、ニギニギだのモフモフだのと悦に入っていると、怒る人もいるらしい。なぜなら、やがて無精卵を産むことになり、そのような負担をさせるのは「飼い主失格!」などと、論理が飛躍していくようだ。おそらく、そうした極論により、メスの手乗り文鳥を1羽飼育していて、産卵させてしまった飼い主の中には、心苦しく思い、自分をダメ飼い主と考えてしまう人も多いるかと思う。
 しかし、産卵は、伴侶を得たメス文鳥として、ごく自然な営為に過ぎず、それを悪いことのように認識するのは、飼い主に亭主として自覚が足りないだけ、だと、私は思う。
 
 手乗り文鳥と親密になる、とは、異種の動物に懐かれたのではなく、同種の生き物として伴侶に選ばれたことを意味する。文鳥の方は、人間による差し餌の結果、人間を同種として刷り込まれているので、自分と同じ種類の飼い主を、恋ビトにするのは、何の不思議なことではない。まったく、刷り込みを行った人間側が、その事実を忘れてもらっては困るし、それでは無責任でしかない。
 さらに、懐かせようとの意図であれ、親しくなろうとスキンシップを繰り返せば、相手の好意を得て伴侶と見なされ、産卵に行き着くのは当たり前である。それが嫌、となったら、そもそも差し餌で手乗りにすること自体を、否定しなければなるまい。つまり、ごく自然なスキンシップを重ねた結果なので、手乗り文鳥の飼い主としては、ダメどころか素晴らしいと評価したほうが良い。
 しかし、誠に遺憾なことながら、飼い主は、文鳥にとって、ダメ亭主たるを避けられない宿命にある。何しろ、巣材を集めて巣作りもせず、抱卵を交代しようともしないのだから、こんな役立たずのダメ亭主もないだろう。挙句、そのダメ亭主が、見当はずれの能書きの元で、産卵を避けるだけの目的で、スキンシップすら怠るとなれば、これはもう、文鳥から見たら、最悪のダメ亭主、離婚を考えてしかるべきであろう。
 産卵には、確かにリスクが伴い、最悪の結果もゼロではない。何しろ文鳥は、江戸時代から、お産の「重い」ことで知られ、一時的な卵づまりなら、ごく普通に起こり、朝、気分悪げに丸くなっていて、飼い主の肝を冷やさずにはいない。しかし、大昔風の半露天のごときあまり感心できない環境と、現代家屋の室内では、そのリスクは格段に低減しているはずで、卵づまり症状で肝を冷やすことがあっても、それで死に至るケースは、極、稀、であろう。
 もし、文鳥にとって亭主の飼い主が、産卵を危険と思えば、栄養バランスや温度管理に気を付ければ良い。無闇に産卵を恐れ、産卵を避けるために、手乗り文鳥に孤独な思いをさせ、手乗りを手乗りではなくしても良しとする対処は、不自然で異常であり、人倫にも文倫?の上でも、感心できない。それでは手乗りの本質も自分のことを伴侶と信じさせる行為、手乗りにしてしまったことこそ、よほど無責任だと、私には思えてしまう。
 
 所詮、ダメ亭主なので、的はずれな能書きよりも、せいぜい、体調管理に気遣い、労をねぎらうくらいはしたいものである。

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