【飼育書】『楽しい文鳥生活のはじめ方』にダメ出し

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こんなとこも冒険するようになったアリィ
 
 獣医の濱本さんが監修された『楽しい文鳥生活のはじめ方』(ナツメ社)は、昨年の10月に刊行された本で、年明け頃に入手して、かなり期待してページをめくったのだが、最初の方で放り出していた。
 なぜ放り出してしまったのか?「文鳥と仲良くなるコツ」として、「人の手でさし餌をされて育った文鳥は、その後も人になれやすく」なる、とあり、そもそも親鳥に代わって差し餌をされた手乗り文鳥と、そうでない荒文鳥の根本的な違いすら理解せず、文鳥を「なれやすい」か否かの物差しでしか測れないらしい編集サイドの知識の浅さに、絶望的な気持ちになったからである。
 そもそも、文鳥とのコミュニケーションにおいて、「ならす」「なれる」は、不適当な言葉だと思っている。そのような言葉を用いる人は、文鳥が飼い主に親しんでいるのを、「ならした」成果だと思ってしまいがちだが、その認識は、文鳥と親しくなる上で、根本的、ほとんど致命的な誤解だと思う。何しろ、その「ならす」は、手懐ける意味合いでの「ならす」に他ならず、手乗り文鳥側の気持ちと乖離しているのである。この場合の「ならす」を漢字で表記するなら、「慣れる」ではなく「馴れる」がふさわしく、この「馴」は、例えば、まだ人を寄せ付けないような馬を、屈服させ人間の指示に従わせる調教を、馴致(じゅんち)と呼ぶように、人が逆らう動物をしつける意味合いであり、人と動物を主従関係とした上で、用いるべき言葉なのである
 それで良いではないかと思う人には、「文鳥道不覚悟!」なので、できれば早めに改心してもらいたい、とよそながら願ってしまう。何しろ、手乗り文鳥の場合は、自分も人間と同じ生き物と認識しているのに、そのような認識では、文鳥の気持ちなど永遠に理解できないとからである。(主観的に)対等の立場にある同種の生き物は、友情を温めたり、恋愛関係を深める相手であり、そうした視点でなければ、何をコミュニケーション出来ようか?別種の下等動物のペットを手懐けるなどと、一方的な客観認識を押し付けるようでは、およそ筋違いと言わねばならない。
 いったい、文鳥の差し餌が、昔の動物行動学で盛んに取り上げられた『刷り込み』の一例で、それは給餌をする相手を「親」と認識し、種としての同一性を認識させるもの、という古典的、かつすでに一般常識とすら言える事実を理解せずに、どうして小鳥の給餌が出来るのだろうか?もちろん、給餌しなくても、人間にらしていくこともあるだろうが、それと給餌して同種の生き物としての認識(誤解)を刷り込むのとは、まったく別物だと、まずは、しっかり認識していただきたいものである。
 
 そのような感じで、がっかりしたのだが、数ヶ月経った最近、思い直して、続きを読んでみた。そして、遺憾ながら、はっきりダメ出しするに至った。 その理由は、基本的知識があまりにもお粗末な上に、矛盾が平然と並んでおり、これでは、特に初心者は混乱するばかりに思われるからである。せっかくなので、引っかかった細々したことをいちいち・・・。
 
 例えば、フィンチ(FINCH)とは「飼育できるスズメの仲間の小鳥」のことだと書いているが、それは日本の飼鳥の世界での一般的な「フィンチ」、カタカナの「フィンチ」の説明であって、飼育できなくても、フィンチはフィンチである。これを書いた人は、有名なガラパゴス諸島のダーウィンフィンチを、知らないのだろうか?知っているなら、あれが誰かに飼われているとでも思っているのだろうか?せっかくなので日本大百科全書を見れば、「スズメ目の小鳥のうち種子食、穀食に都合よく進化した、じょうぶな円錐(えんすい)形の嘴(くちばし)をもつアトリ科、カエデチョウ科の鳥に共通して用いられる英名」とあり、これが、本来のfinchの意味である。
 例えば、内側、翼を開いて裏側から見た写真に、「初列雨覆」とある。裏から雨覆が確認できたら困ることもわからないのだろうか?雨覆は、その名のごとく、風切羽の根元部分から雨などの水分が侵入して体を冷やさないように、覆っている羽なので、風切羽の外側に存在しなければ意味をなさない。
 例えば、文鳥の「まぶたは上、下両方から閉じます」、と当たり前のように書いているが、鳥類は大体が下からだけ閉じる。上から閉じたら、それは謎生物である。
 例えば、「抱卵して20日頃に孵化します」とあるが、正解は17日目である。一般的なニワトリは21日目に孵化するのが知られているように、種ごとに孵化に要する日数は決まっており、「頃」とか3日の違いなど有り得ないのが、生物学の常識だと心得てもらいたい。
 例えば、「年に2回の換羽」と書きながら、表では3~4月を「換羽始まり」、5~6月を「換羽(ピーク)」としている。年に2回換羽すると思い込んでいる飼い主は、昔から存在するが、それは自分が飼っている文鳥しか知らず、換羽が一旦止まって再開することがあり、特にきびしい真夏には小休止することが多い、一般的事例を知らないだけである。
 例えば、「白文鳥は江戸時代後期の日本で生まれ」としながら続くページの記事では「白文鳥は明治時代の日本で生まれ」としている。知らないのかもしれないが、江戸時代後期と言えば、18世紀末は既にその範疇とされることが多く、一方の明治は1868年に始まり40年余も続くので、50~100年以上の開きが生じてしまう。世の中には、江戸時代末期とか、略して「幕末」という言葉もあるので、後期とはせずに、そちらを使用すべきだろう。
 例えば、人名を「八重女(やえ)」としているのが、これは「やえめ」と読んで「八重という名前の女」といった意味のはずだ。
 例えば、生後4~6日目とする画像は、8日目前後、生後8~10日目とする画像は14日目頃、およそ5日も違っている。文鳥の開眼は、孵化11日目でほぼ一定しており、それもすぐには「目はパッチリ開きました」にならず、眠たげで焦点が合わない状態が数日続く。資料提供者は、5日間も孵化に気づかなかったのだろうか?その誤りに気づかずに、成長度合いなど語れるものか、考えものである。
 
 といった辺りで、先を読む精読する気力が失せてしまったのだが、パラパラめくっただけでも、飼育上、迷惑なことが書いてある。
 「パウダーフードにムキアワを混ぜたものを与えましょう」とあるが、これは、アワ粒とアワ粒の間をパウダーの微粒子が埋めてしまい、セメント状に固まって嚥下しにくくなり、そのう炎が起きやすくなるので、かなり昔から、厳禁とされる方法である。 また、アワ玉だけでは栄養不足になるからアワ玉を「あげないほうがよい」などとあり、これには呆れてしまう。だけ、でなければ良いだけで、わざわざアワ玉ではなくムキアワを推奨するところを見ると、かなり前にたんなる妄想でアワ玉を毛嫌いし、雑菌が付いてるの長期保存ができるのは怪しいの、己の無知、非常識をさらけ出していた鳥の専門医さん某の珍説を、未だに引きずっているだけ、のように思われる。
 「日光浴で健康を維持しよう」などとあるが、パウダーフードだの何だの各種栄養に気を使っておきながら、突如、こうした古(いにしえ)の教えが飛び出すから、私には不思議でならない(知識の内容が精査されていないので、いびつに見える)。主たる理由は、ビタミンD3が形成されるという、もう聞き飽きて嫌になってそれも十年以上経過した話なのだが、そうした栄養の不足が心配だから、パウダーフードには添加され、総合ビタミンサプリメントのようなものにも添加され、自然のものなら、煮干などを与えてみたりするのである。この「カルシウムの吸収を助ける栄養素」は、食べて補えるから、ヒナは暗室の中で育ち、真冬で日差しが弱くても、とたんに体調を崩すこともないのが、厳然たる事実、である。 
 また、日光浴で外の景色を眺めることは、文鳥にとってリフレッシュになるとの理由も書いているが、それは文鳥によりけりであり、そうした行為に小さな頃から慣れていなければ、 風にそよぐ梢にも怯える可能性が高い。人間でない文鳥には、見慣れない景色は、すべて驚異で恐怖するのが当たり前で、リフレッシュどころではなくなることくらい、想像しないのであろうか?
▼以下31日加筆
 「文鳥は体調が悪いとき、それを隠す習性があります」、とあるが、そのような習性は無い。食べなければ死んでしまうので、体調が悪くても頑張っているに過ぎない。また、胃腸が弱まれば消化吸収が円滑ではなくなるので、一所懸命食べて量で補う必要があり、食べるという作業そのものが、準備体操をして気合を入れなければならないほど負担となることが、往々にして起きるに過ぎない。ようするに、体力が低下しているのに対処しているだけの行動を、病気を隠しているなどと、浅はかにも見切ったつもりになっているだけである。
 そもそも、体調が悪いのに、外出着でキビキビとした立ち居振る舞いなど出来るだろうか?それをするとしたら、極めて人間的な理由により、よほど無理をしているだけで、少なくとも生存のみを考えれば、家で安静に寝ているはずである。隠したところで、フラフラとして動きが鈍ければ、特に集団行動の中では目立ってしまい、外敵に狙われるだけになることくらい、わからないものだろうか?
 なぜ、このようなマヌケな話が、小鳥飼育の関係者の一部に定着してしまっているのか不思議だが、チドリなどに見られる擬傷行動を連想したためではないか、と類推している。擬傷は、巣に近づく外敵に対し、親鳥が傷ついた様子を「演じて」外敵の注意をひき、巣から遠ざける、というもので、傷ついたふりをするのだから、元気なふりもするだろう、といった連想もしやすい。
 しかし、気を引くための擬傷行動との関連なら、特に手乗り文鳥には詐病があると、私は思っている。これは飼い主などの親しい相手に、脚が痛いなどの状態を誇張して見せるものだ。構ってもらいたくて、何か問題があるふりをするわけで、実に賢い「人間的な」行動だが、本能的な擬傷行動の延長線にあるものなのかもしれない。余裕があれば、そうした演技ができるのが文鳥という生き物なので、誤解されるのかもしれないが、こちらは万物の霊長とも自称する巨大な前頭葉を持つ生き物なので、その誇りにかけて、しっかりと気持ちを理解していただきたいものである。
 過剰な産卵を避けるための方法の1つとして、「12時間は、まっ暗な部屋で連続して眠らせる」ように勧めている。つまり、短日環境、日差しがあり明るい時間が短い環境にするべきだとの説で、かなり以前に春に繁殖期を迎える小鳥に対して有効とされている方法だが、文鳥には当てはまらず、むしろ逆効果にしかならない。なぜなら、文鳥の日本における繁殖期は、秋から翌年の春まで、つまり、一年で日が短い季節なのである。そのサイクルが身に備わっている文鳥であれば、「12時間は、まっ暗な部屋で連続して眠らせる」短日環境に置けば、かえって産卵を促進するだけに終わる(突然の環境変化に驚いてしばらくは産卵抑止になる可能性はある)。
 どうやら、この部分の筆者は、文鳥の繁殖を、春と秋の2回が正常だと、実に初歩的な勘違いをしているようだが、実際は秋から春までであり、夏も猛暑を避けられる環境なら、換羽している時以外は通年繁殖可能となる。昔の文鳥繁殖農家がヒナを出荷していたのは、9~6月で冬季も間断なく出荷されている(『畜産全書』によれば、「9月から6月初めまでが繁殖期」とされ、ヒナは、7月以外出荷されていて、6・8・9月が少ない)。また、季節変化の少ない台湾の出荷は、通年と思われ、そもそも熱帯多雨原産なので、季節変化に左右されないのが本来の姿なのである。
 つまり、「春が近づき日が延びてくると発情する」などと書いているのは、別種の小鳥と混同したか、自分の限定的な経験に基づく思い込みでしかない。文鳥の場合は、おそらく日の長さはほとんど無関係で、関係あるとしたら、日長が短くなる秋に産卵が始まる以上、「12時間は、まっ暗な部屋で連続して眠らせる」短日環境こそ、産卵に適していると見なさねばならない。その点については、短日環境で繁殖が促進されるとのデータが科学的な研究報告も存在している(『愛知県農業総合試験場研究報告』第19号「ブンチョウの光線管理に関する研究」1987年、「(産卵の)賦活化には長日から短日へ」人工的に切り替えるのが有効としている。ただし、1995年の同27号「光線管理がブンチョウの繁殖に及ぼす影響」では、大掛かりな飼育実験の結果、有効性は限定的とされている)。しかし、もちろんご存知あるまい。知っていれば、このような初歩的な勘違いは起こさないだろう(私は2004年『文鳥問題』において批判的に取り上げている)。つまり、現実の繁殖期をわきまえず、大昔の研究も踏まえず、これでは語る資格無し、と言われても止むを得まい。
▲以上31日加筆
 
 飼育については、普通の飼い主と別に何ら変わらなくて当たり前の獣医さんに、その指南を求めるのは、およそお門違いだと、私は思っている。それは、人間の医者やら学校の教師に、自分の家の子供の家庭での人格教育を聞くのと大して変わらないだろう。医者や教師、さらには教育評論家の子供ほど、よほどろくでなしが多いのではなかろうか?そういったものだと思う。
 この本の場合、獣医さんが監修とされているが、どうだろう?私には、むしろ別の獣医さんの意見が濃厚で、その意見(徐々に変化する)だけを吸い取って、自分で検証することを怠ってしまう、ごくありふれた経験と知識の不足した飼い主が、2、3人で作った内容に、筋違いの人が(無意味な)お墨付きを与えてしまっただけ、に思えてしまった。
 
 このようなものばかり。信じたことで実害も起こるだろう。何しろ、この内容でも、本当に読んでいるのか少なくとも理解できているのか怪しい文鳥好きがこうじた善い人たちが、アマゾンのレビューで中身のない好評しか書かないので、釣られる人も多いだろう。善人とは、案外傍迷惑なものである。
 これを参考にして飼育し、支障なく楽しい「文鳥生活」を送れたとしたら、その幸運に感謝すべきだろう。安易に信じず、自分でしっかり考えていただきたいものである。 

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