母似で頭水玉のサイと20代目で弥富系のタッチ
弥富の又八新田という小さな集落が、突如、白文鳥の生産地として有名になる理由は、白文鳥が突然変異で誕生し、混ぜるの大好きな日本人が混ぜても白文鳥が生れちゃう特殊な顕性の遺伝により一般に支持されて、江戸を中心に存在したであろう潜性の白文鳥を圧倒した、それが私の結論で、その年も明治2年(1869年)に設定することにした。
確証はない(きっぱり)。しかし、「やなぎす」さんのおかげで微証はある。1877年以降にイギリスで繁殖に用いられた白文鳥が、絶対的な顕性白因子の持ち主=弥富系であることを示す繁殖例がいくつもあるからだ(1877~1880年の繁殖例「しかし、白文鳥どうしのあいだから、しばしば一腹の中に、純白な雛のほかに、斑のある雛、あるいは全く灰色の雛まで現われる」)。
確証はない(きっぱり)。しかし、「やなぎす」さんのおかげで微証はある。1877年以降にイギリスで繁殖に用いられた白文鳥が、絶対的な顕性白因子の持ち主=弥富系であることを示す繁殖例がいくつもあるからだ(1877~1880年の繁殖例「しかし、白文鳥どうしのあいだから、しばしば一腹の中に、純白な雛のほかに、斑のある雛、あるいは全く灰色の雛まで現われる」)。
さて、文鳥マニアなら愛知県弥富市に白文鳥発祥地の石碑があるのをご存じだろう。普通の人は表面しか見ないが、その裏面に横書きで由緒が刻まれている。
その内容を、弥富市文鳥組合最後の組合長たる大島静雄氏が書かれた『弥富文鳥盛衰記』(2009年)から抜き書きすると、以下である。
「白文鳥は文鳥村として古くから知られた又八部落が、日本唯一の白文鳥発祥地である。由来は尾張藩の某武家屋敷に女中奉公をして居た八重女が元治元年大島新四郎方に嫁入りした時、桜文鳥を持参した。其の後又八部落を中心に近郷の人々が文鳥飼育を広め明治初年頃になって遺伝の突然変異により純白な白文鳥の定型化に成功した。弥富町の誇りとして、此の先覚者達の努力に深甚の敬意を表すると共に、長年にわたる伝統の成果である白文鳥を弥富町の特産物として発展させる事を誓って此の碑を建立する」
で、話を次に進めたいのだが、実は『弥富文鳥盛衰記』を取り出す前に、インターネット検索をして、碑文を書きとられている方のブログ(「鬼丸のブログ」さん)を見かけていたので、何か足りないと気付いた。↓は鬼丸さんが書きとられたものだ。
「白文鳥は文鳥村として古くから知られた又八部落が日本唯一の白文鳥発祥地である 由来は尾張藩の某武家屋敷に女中奉公をして居た(八重女)が元治元年大島新四郎方に嫁入りした時櫻文鳥を持参した 其の後又八部落を中心に近郷の人々が文鳥飼育を広め明治初年頃になって遺伝の突然変異により純白の文鳥が生れたものを苦心改良を重ねて現今の純白な白文鳥の定型化に成功した 弥富町の誇りは此の先覚者達の努力に深甚の敬意を表すると共に長年にわたる伝統の成果である白文鳥を弥富町の特産物として発展させる事を誓って此の碑を建之する」
最後の建之(「けんのう」だが、普通は「これを建てる」と読む)を建立にしているのは、同義なのでどちらでも良いのだが、なぜ「純白の文鳥が生れたものを苦心改良を重ねて」を抜かしたのだろうか?とりあえず、書き写す際に偶然抜けたと考えておこう(お時間のある人は一字一句突き合わせてみてくださいね。で、教えてね)。
なお、とかく書き写す際などにケアレスミスは起きるもので、史資料は原典を見て確認して引用しなければならない.。それを承知で心苦しいのだが、ここでの史資料では「やなぎす」さん頼りで引用していることをこお詫び申し上げておく。
※碑文の類が不鮮明な場合、現地で紙を貼り付け写し取るようなこと(拓本)が必要になるのだが、そもそも私は現地に行ったことすらない。ただ有難いことに「鬼丸のブログ」さんは碑文も撮影されていて、かなり鮮明なので読めるかと思う。
※碑文の類が不鮮明な場合、現地で紙を貼り付け写し取るようなこと(拓本)が必要になるのだが、そもそも私は現地に行ったことすらない。ただ有難いことに「鬼丸のブログ」さんは碑文も撮影されていて、かなり鮮明なので読めるかと思う。
と、華麗に史資料批判から逃げるつもりだったのだが(集めた史資料が有効か、怪しい点はないか、チェックするのは、研究者として当たり前の作業)、ここで問題になるのもケアレスミスなのである。
「やなぎす」さんの研究成果から、弥富で、最近まで優性遺伝と呼んだが、今は顕性遺伝と呼ばれつつある白遺伝子を持つ白文鳥が発祥するより30年近く昔の1840年頃には、私が関東系もしくは台湾系と呼んだノーマル色に対等な白遺伝子を持つ白文鳥の実在を確信した。ところが、1877年以降のイギリスで、顕性の弥富系白文鳥が用いられているのだろう?何しろ、碑文は「明治初年頃」とするが、明治9年発祥とする説明もあるのだ。
愛知県総合教育センターいわく、
「1865年(元治2)尾張藩の武家屋敷に働きに出ていた「八重女」という人が,弥富の又八地区の大島新四郎方に嫁入りしたとき,日ごろ世話をしていた桜文鳥を土産にもらって持参したのが,弥富で文鳥飼育を始めた由来である。以来,又八地区を中心に文鳥飼育が農家の副業として盛んになり,明治9年初めに突然変異により,「白文鳥」が誕生し,これを飼育改良した結果現在に至っている。弥富は日本で唯一の白文鳥の特産地である」
八重女の「女」は女性名の後に慣用的に付けているものなので(通常、八重と言う名の女性の意)、本名は八重さんだろう。その八重さんが大島家へ嫁いだ年が、弥富市の又八地区における文鳥飼育の起源で、以降子々孫々と続くのだから、祖母か曾祖母くらいの嫁入りした年は正確に伝承されていそうだ。
※例えば、大久保巨『ブンチョウの飼い方・ふやし方』に「白ブンチョウのふる里弥富文鳥村」という記事があり、「現在では、大島八重さんの子孫である大島しんさんがブンチョウの飼育を代々続けています」とあって、お写真に「三代目の大島しんさん」とキャプ註がある。問題は「現在」とはいつなのかで、私の手元にあるのは1994年発行だが、江戸時代の飼鳥家大久保巨川が憑依しない状態の鷲尾さん名の1989年発行の飼育本(読者にわからないペンネームとか使った過去を反省するように誰か本人に言ってやってください)にも、しんさんは登場しないが同様の文鳥村の記事があり、かなり古そうな気配も感じる。推定としては、1870年頃に八重さんが子どもを産めば20世紀には孫がいたはずで、孫娘のしんさん70歳頃のお姿が「1970年現在」となるかと思う。「おばあちゃんが、私が嫁入りした元治元年から始まったんだよ」と繰り返し繰り返し聞いていそうである。
一方で、白文鳥の発祥年を「明治9年初めに」とするのはどうだろう?・・・なぜ、こちらには西暦はないのだろう?だいたい、なぜ年の「初め」と細かな時期指定をする必要があったのだろう?・・・それに、明治10年頃には弥富系(顕性)の白文鳥がイギリスで繁殖している証拠がある以上、9年では遅い、遅すぎる。
例えば、思い切り単純に考えて、初代の顕性白文鳥弥富ちゃんが生まれ、1年後のシーズンにノーマル文鳥との間に15羽子どもを産めば、半分の7、8羽は白文鳥だ。7羽とすれば2年後のシーズンにそれぞれ7羽で、白文鳥は49羽(初代の繁殖もつづくはずだが、細かなことは考えない概算とお心得ください)、3年後には343羽、4年後には2401羽・・・、これほどスムーズにいかなくても、5年で千羽以上売りだせる体制にすることは可能だろう。高値で売れるのだから、どんどん設備投資されたものと思う(基本的には飼育小屋を建てるだけなので、大した手間はかからない)。つまり、「明治初年頃」に弥富ちゃんが生まれたとする碑文の説明は正しいと見るべきだ。
八重女の「女」は女性名の後に慣用的に付けているものなので(通常、八重と言う名の女性の意)、本名は八重さんだろう。その八重さんが大島家へ嫁いだ年が、弥富市の又八地区における文鳥飼育の起源で、以降子々孫々と続くのだから、祖母か曾祖母くらいの嫁入りした年は正確に伝承されていそうだ。
※例えば、大久保巨『ブンチョウの飼い方・ふやし方』に「白ブンチョウのふる里弥富文鳥村」という記事があり、「現在では、大島八重さんの子孫である大島しんさんがブンチョウの飼育を代々続けています」とあって、お写真に「三代目の大島しんさん」とキャプ註がある。問題は「現在」とはいつなのかで、私の手元にあるのは1994年発行だが、江戸時代の飼鳥家大久保巨川が憑依しない状態の鷲尾さん名の1989年発行の飼育本(読者にわからないペンネームとか使った過去を反省するように誰か本人に言ってやってください)にも、しんさんは登場しないが同様の文鳥村の記事があり、かなり古そうな気配も感じる。推定としては、1870年頃に八重さんが子どもを産めば20世紀には孫がいたはずで、孫娘のしんさん70歳頃のお姿が「1970年現在」となるかと思う。「おばあちゃんが、私が嫁入りした元治元年から始まったんだよ」と繰り返し繰り返し聞いていそうである。
一方で、白文鳥の発祥年を「明治9年初めに」とするのはどうだろう?・・・なぜ、こちらには西暦はないのだろう?だいたい、なぜ年の「初め」と細かな時期指定をする必要があったのだろう?・・・それに、明治10年頃には弥富系(顕性)の白文鳥がイギリスで繁殖している証拠がある以上、9年では遅い、遅すぎる。
例えば、思い切り単純に考えて、初代の顕性白文鳥弥富ちゃんが生まれ、1年後のシーズンにノーマル文鳥との間に15羽子どもを産めば、半分の7、8羽は白文鳥だ。7羽とすれば2年後のシーズンにそれぞれ7羽で、白文鳥は49羽(初代の繁殖もつづくはずだが、細かなことは考えない概算とお心得ください)、3年後には343羽、4年後には2401羽・・・、これほどスムーズにいかなくても、5年で千羽以上売りだせる体制にすることは可能だろう。高値で売れるのだから、どんどん設備投資されたものと思う(基本的には飼育小屋を建てるだけなので、大した手間はかからない)。つまり、「明治初年頃」に弥富ちゃんが生まれたとする碑文の説明は正しいと見るべきだ。
では、どこから「明治9年」が出て来たのだろう?そこで、私ははたと思いついた、これって誤植じゃね?と。9を「の」と置き換えると、「明治の初め」だ。つまり、「明治の初年に」と原稿にあって、手書きの文字に少々問題があり、平仮名の「の」が数字の「9」に見えたため「明治9初年に・・・ってなんだ?あー明治9年の初めかぁ」と勝手な脳内置き換えによって書き換えをした人がいたのだろう。
そんないい加減なことがあるかぁ?いやいや、ありまくるでしょう?この世の中には!例えば私の母方の祖母は「ヨキ」と言う名だったが、本当は「ユキ」にするつもりで、役所に届けた際に、おそらく「娘生れたってぇ、なめえ(名前)何にすんだ」「あぁ、カタカナでユォギ(ユキと言っているのだがそうは聞こえない)だぁ」「ヨォギ(ヨキと言っているのだがやっぱりそうは聞こえない)か、こっちで書いとく」などといういい加減な会話があって、ヨキさんになったらしい(上越地方出身である)。また、某駅に「1!両編成の際は・・・」などとあって初め何のことかわからなかったが、これも手書きの現行の文字に問題があって、11が1!に見えて、看板屋さんが見たまま制作してしまったに相違ない。
そんないい加減なことがあるかぁ?いやいや、ありまくるでしょう?この世の中には!例えば私の母方の祖母は「ヨキ」と言う名だったが、本当は「ユキ」にするつもりで、役所に届けた際に、おそらく「娘生れたってぇ、なめえ(名前)何にすんだ」「あぁ、カタカナでユォギ(ユキと言っているのだがそうは聞こえない)だぁ」「ヨォギ(ヨキと言っているのだがやっぱりそうは聞こえない)か、こっちで書いとく」などといういい加減な会話があって、ヨキさんになったらしい(上越地方出身である)。また、某駅に「1!両編成の際は・・・」などとあって初め何のことかわからなかったが、これも手書きの現行の文字に問題があって、11が1!に見えて、看板屋さんが見たまま制作してしまったに相違ない。
そういうものである。人のなせる業にはミスはつきものなのだよ。
で、明治元年は9月改元なので、秋の繁殖中、10月か11月ではないかと思ったので、きりも良いので明治元年に弥富ちゃんは生まれたのだぁ、と言いたかったのだが、明治元年ならインパクトがあるから、田舎の農民でも皆覚えてるのではないかと思いなおし、2年にした。「あの白い子っていつ生れたんだっけ?明治になった頃だったよね?でも最初じゃなかったような・・・、初年頃、ってしとこう」などと、いい加減と言うか有りがちな思い起こし作業を経ている、と自分ならやりそう想定問答から推定したわけである。・・・うん、春がいいな。菜の花がきれいな土地柄らしいし。と、極めつけのいい加減さで明治2年(1869年)春生まれ、としてしまうことにした。これなら、翌翌年明治4年(1971年)から繁殖が本格化したとしても、1877年以前に子孫をイギリスに輸出できるかと思う。
こんなことで良いのか、と思わないでもないが、一つ問題は片付いた。結構結構。何だかわからないから顕性も潜性もみんなみんな明治10年頃に突然生まれた白い弥富ちゃんが起源だ、とした昔の考察から比べれば、大きな進歩と言える。「やなぎす」さんのおかげである。
なお、『弥富文鳥盛衰記』が省いてしまったような、品種改良に努力を要したとするような話は、わたしは修辞上のもので事実としては一切認めない。突然変異個体が生まれたところで飼い方は同じであり、努力をしたからどうなるというものでもない。余計なことを言うので、真面目な人は本当だと思って、こんな努力あんな努力と尾ひれはひれを付けた話にもなってしまうものと思う(部分白化個体をかけ合わせていって白文鳥をつくった、といった事実ではない話になる)。証言などを精査する時には、そういった手柄話の類は聞き流す、習慣を持たねばなるまい。
なお、『弥富文鳥盛衰記』が省いてしまったような、品種改良に努力を要したとするような話は、わたしは修辞上のもので事実としては一切認めない。突然変異個体が生まれたところで飼い方は同じであり、努力をしたからどうなるというものでもない。余計なことを言うので、真面目な人は本当だと思って、こんな努力あんな努力と尾ひれはひれを付けた話にもなってしまうものと思う(部分白化個体をかけ合わせていって白文鳥をつくった、といった事実ではない話になる)。証言などを精査する時には、そういった手柄話の類は聞き流す、習慣を持たねばなるまい。
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