昨夜のテン
今夜のテン
人間の『ドメ夫』は、女房に暴力を振るった後で、やさしくいたわる側面を見せるそうだが、テンの場合、卵に対して偏執があり、恐ろしいことに、それは女房が産まねばならないものだと知っており、産まないことに腹を立てるだけで(「だけ」と言えるのかどうか・・・)、その他の部分では愛妻家と言える。
従って、エコがいなくなったことにショックを受けている様子で、昨夜は途方にくれ、今夜はどこかにいないかぼんやり見わたすことが多かった。
ところで、文鳥は、いわゆる死の概念を持っているのであろうか?これも難しい。おそらく、自分が死んでいく定めを持つ存在、といった認識は無いと思う。しかし、他者の死を、まったく認識出来ないとは思えない。
私の見るところ、まだ息のある状態で、カゴから取り出して看病し、そのまま亡くなってしまった場合、同居していた伴侶の文鳥は、数日の間、相方の姿を求めて鳴きながら探すのに、カゴの中で亡くなって、しばらくしてから気づいて搬出した場合、探索する様子があまり見られない。
つまり、伴侶が物言わぬ骸となってしまい、鳴いても返事しない存在に変わったことは、しっかり認識できているように思われる。
では、重篤な状態で別れ、亡骸を見せたら、納得するのか?これは、それぞれで違うような気がするのだが、大まかには、納得してくれないように感じている。その亡骸を、伴侶とは同一視できない感じなのである。となると、生きている間、一緒に行動していて、「看取る」ようなシチュエーションにならない限り、「永遠の別れ」の認識は持てないことになるだろうか。
それはそれで、案外に幸せな感覚かもしれないな、と思える。
コメント