「君」どころか「様」と呼ばれる未来はあるのか?
ほ~、ずいぶん賑々しいな。
公開しているとは言え、個人の備忘を主目的とした日記の推敲を経ない殴り書きのようなもので、いろいろ想像を膨らませるとは、なかなか真似のできない芸当をしている。よほど、暇だったんだろうな。ただ、結果、私がリオくんにしていることを、そこに至る経緯も理解しようとせず、勝手に解釈して変な方向で真似する人がいても困りものだ。
当然ながら、ぼんやりした姿に、加虐心をそそられた結果、始めたことでも、頭空っぽの「おもしろ~い」を求めて続けているわけでもない。繰り返しになるが、これも備忘なので、経緯を整理しておこう。
昨年1月に、大型商業施設内のペットショップから我が家にやってきたリオくんは、目に力なく筋肉もないやる気ゼロの文鳥であった。ただ、お気に入りのメス文鳥ににじり寄ろうとするなど、好奇心はあったので、それを元に、我が家の文鳥社会に溶け込んでくれるものと期待された。
ところが、一年有余の歳月が流れた現在、周囲の野良文鳥たちの喧騒にまったく興味を示さず、送り迎えは飼い主の手づかみ、自発的に動けば脚を滑らし落下して、「ティッシュが動いた!」と他文鳥に騒がれる始末。筋肉(胸筋)は多少増えたようだが、飼い主に捕まって撫で回されても、心臓をドキドキさせることもなく、為すがままにふにゃ~としているばかりだ。
この間、飼い主は、あくまでも自発的変化を望み、むしろまったく無理をさせずに甘やかしていた。それは、先天的に出来ない子、と決めつけたからではなく、徐々に変化すると信じていたからだ。ところが、一羽飼育で飼い主を伴侶と見なしたハネムーン状態で、まったり平和な日々を送る手乗り文鳥とも異なる、何が楽しくて生きているのか見出し難い日々を、何も考えず過ごしているような状態になってしまった。もはや、お気に入りだったメス文鳥の顔を見ることすらなく、放鳥時間中は、始めに飼い主に送られた場所にとどまって、一歩も動かないのである。
明らかに普通の文鳥とは違う方向に変化してしまった。これは、飼い主である私の目から見れば、明らかな悪化で、しかも彼が最低でも3歳(人間なら30代。それで引きこもって社会に出ない人も少し連想された)になっているとの年齢を考え合わせれば、生まれ変わるには遅すぎるくらいで、今しかないと、思いつめねばならない状況に立ち至った。
そこで、まずは変化へのきっかけを与えるべく、手のひらに乗せて自分で飛び立つように促す訓練を始めた。自分の行きたいところに飛べるようになれば、文鳥としての自覚・自尊心が復活するのではないか、と思ったのである。ところが、進歩しない。手のひらの上(本来非手乗りなので、自分で率先してての中でくつろぐことはない)でグズグズするばかりでで飛び立たず、送って欲しいと言いたげに、寝ぼけた目で飼い主を見るのだから、文鳥の尊厳など何もないと見なさねばならない。
なぜこうなってしまったのか?これは、何事も出来ないと自分で納得してしまう悪循環に陥った『性格』になっていて、その精神面が問題ではなかろうか?人間に置き換えて、心理的な考察をするなら、周囲の文鳥と同じ行動ができないコンプレックスから、自分は別の文鳥なのだと現実逃避に向かい、抑うつ状態となってしまっている、と推定した。
しかし、ものは考えようだ。悪化するような変化をする以上は、良化も有り得よう。何しろ、もともとは今よりマシだったのだ。もしあのまま、カゴの中だけでふにゃらけていれば、他の文鳥たちに劣等感を感じずに済んだだろう。もっとも、ところてんのような軟弱な体で、どれほどの期間。健康を保てたかわからないが・・・。
ともあれ、普通の文鳥に戻る可能性はある、と、とりあえず信じ、それを目指すことにした。そのためにどうすれば良いか?他の文鳥たちがしていることを、自分もいろいろ出来るのに気づかせ、自分が文鳥だという自覚(文鳥の本性と言い換えて良いかもしれない)に目覚めさせるしかあるまい。コンプレックスを取り除こうというわけだ。
そのための無関係な第三者にまで物議を醸す「リハビリ」だが(実際はただ手乗り文鳥と遊んでいるだけにしか見えない内容)、もちろん、結果的にうまくいかなければ、生まれながらにせよ、成長過程で精神が壊れてしまったにせよ、繁殖など考えず、昨日も今日も明日も変わらぬ平和な日々を送ってもらうのみだ。これまでもそうして来たのだ。それに何の支障もない。
何しろ、無理をさせずに、いつも不抜けた顔や、夢遊病者の如き態度を見るのも面白い。しかし、多少の無理をさせてでも、それにより少しずつでも変化する姿を見るのは、もっと面白い。変わらなければ元々で、変わるものなら変わってもらった方が良いなら、チャレンジしない方がどうかしている。始めから不出来と決め付けて、悪化していることを良化できるはずがあるまい。
当事者としては、やはり無理をさせるべし。ことがうまく運んで真文鳥となってもらい、なぜもっと早く無理をさせなかったかと後悔したいものだ、と、現在思っている。
さて、文鳥は病気であるかのような演技、逆に健康であるかの如き演技を、意識的に行う可能性は、ほとんど無いが(労力の無駄使いで意味がない)、当然、病気にはなる。それは先天的なものかもしれないし後天的なものかもしれないし、身体的なものばかりではなく精神的なものもある。つまり、(ヨウムの例を挙げる人がいたが)文鳥に精神病患者がいて何の不思議もない。
不思議はないと言うより、実例は数多ある。例えば、翼羽を折り曲げてしまう文鳥の「毛引き」は、その多くはストレス障害だし、文鳥に多いとされる、てんかん的な発作には、人間のパニック障害と同様のケースが散見される。
身体的な病気が治ることもあるように、精神病も治る可能性はある。残念ながら、文鳥にカウンセリングは出来ないので、飼い主が、似たような事例を集め(自分とケースとの類似点より相違点に留意が必要)、しっかり変化を見定め、必要なら、「ムリ~」などと責任放棄をせず、自分で局面を打開する以外にないだろう。私ならそのように他人に勧めるだろうし、もちろん実践するのみだ。
で、今日も面白いと思える変化が見出せるのを期待して、リハビリである。当然ながら、面白くない(=変化が見られない=先天的な異常で普通にはならない)となったら、リオくんは無理をせずに済むのだが・・・。
やはり、彼は変わろうとしている。今日も、手乗り文鳥の若鳥と同様に、軽く手に包んで、目的地に向かって放り投げたが、手前で翼を広げて減速し、見事に着地した。ポンポ~ンとテーブルに放り落としても、しっかり両脚で着地する。それは当たり前だろうと言われそうだが、彼は、とっさのことには指を広げられず、ゼンマイのように丸まった状態で接地してつんのめってしまう方が多かったのだ。さらに、水浴び後はしっかり羽繕いしていた。また、やや減速気味に放り投げた際に途中から自分で羽ばたいて手前まで飛んでいき、30センチほど跳ねて目的地に達した!これまた当たり前ではないかと言われそうだが、その当たり前が出来ず、見上げてため息をつくかのような所在無げな様子を一瞬見せて、後はボンヤリとその場を動かなくなるのが常だったのである。
彼は、夢遊病者ではなく、しっかり目的地を見てそこに行こうとし、それを実行できるように変わりつつある。この程度の何でもないことだが、彼にしては、短期間に激変しているとすら見なせよう。強制水浴び(「介護入浴」のほうが良いのか?)と、カタパルト(射出機)のような強制飛翔(「介護散歩」?)、まずこれを続け、さらにはより遠くの無着陸地空間への投げ出しなどを経て、自在に飛ぶようにさせる。そうなれば、飼い主の手にやすやすと捕まらなくなり、夜の放鳥時に他の文鳥と飛び回り、自信を深めてくれるのではなかろうか。先は長そうだが、頑張って、飼い主を警戒し、捕まればドキドキするように、変わっていってもらいたい。
コメント