先祖に付きまとわれても無視して食い続けるフィン
フィンはこう見えて、まだ「ベタ馴れ」なのである。夜の帰還時に、手の中に潜り込み、頭、頬っぺた、クチバシの三所責めを楽しませてくれる(もちろん、潜り込む際に、指を食いちぎらんばかりに噛む)。
しかし、それは私にとって余録の楽しみに過ぎない。↑とか↓とか、他の文鳥たちとの付き合い無しに、見られるものではない。そもそも、そうした姿を見れなければ、その文鳥の個性を知る手掛かりが少なすぎるのではないかと思う。
「ベタ馴れ」とか「モフモフ」とか、1羽飼育の飼い主の文鳥への溺愛は、傍から見ても微笑ましいものだが、それは偏愛と思えるほどの一途さが感じていたからであった。しかし、世の中はいろいろなのだと、感心させられるし、同じ「ベタ馴れ」飼育の飼い主でも、案外、違う情緒も有り得るのだと、目の覚める思いがしている。
もっとも、同じように複数飼育しているからと言って、誰もが同じような文鳥の見方をしているわけでは無いので、同じと思う方がどうかしているのかもしれない。やはり、同一性ばかりを追い求めない方が良いものか?いろいろあったほうが面白いのだが、そのあたりの加減は難しいものである。
もっとも、同じように複数飼育しているからと言って、誰もが同じような文鳥の見方をしているわけでは無いので、同じと思う方がどうかしているのかもしれない。やはり、同一性ばかりを追い求めない方が良いものか?いろいろあったほうが面白いのだが、そのあたりの加減は難しいものである。
兄を追い出し水浴びを始めるフィン
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