アタシでも『男の論理』

 Untitled1.jpg
性格も体型も変わってしまったイッツ
 
 私だけに「ベタ馴れ」の白文鳥、私だけに「ベタ馴れ」の桜文鳥、私だけに「ベタ馴れ」のシナモン文鳥、私だけに「ベタ馴れ」のシルバー文鳥、私だけに「ベタ馴れ」のクリーム文鳥、それもみんな♂。「5ニンの男たちに囲まれて幸福な女のアタシが、どうして『男の論理』なのよ?」と、もし詰問されたら、私は困るだろうか?多分あまり困らず、今のところは、次のように答えるのではなかろうか。
 人間である貴女は、性別にこだわるお考えのようですが、その愛する文鳥君たちは、例え「アタシ」が人間の男であっても、同種のメスとして愛するでしょうね。つまり、性別は無関係なのです。百歩譲って女性の貴女にかしずく男性たち、と考えるのは、無理があります。もちろん、美女が複数の男にモテるのは、人間の社会ではありふれた事態ですが、では、その中の一人と結婚した後に、複数の男と恋愛関係を継続するのは、女性として普通でしょうか?
 動物の世界にも、複数の♂の求愛を受ける♀、という事例は多いですね。♀をめぐる♂同士の戦い、というのも多いかと思います。しかし、それは、♀がより強い遺伝子を残すため、♂の資質を試している、と、学問的にはだいたいは理解されるものです。当然ながら、選ばれる♂は1個体であることが多く、人間の独身女性が選り取りみどりの中から、自分なりの基準で1人を選んで結婚して家庭を作るのと、基本的に同じですね。つまり、結婚した後も複数と交際する方が、『女の論理』からは逸脱しており、そうした感覚を持ち続けるのは、とにかく自分の遺伝子を数多く残したいといった衝動を内在する『男の論理』と言う他ないと思うのです。
 伊藤さんは、ご自分が実践されているという「ベタ馴れ」を文鳥を複数「つくる」方法論を、飼育の技法として、ご教示になったわけだが、これを真似した人の手乗り文鳥も、普通に考えれば半分はメスに育つはずだ。その場合、「ベタ馴れ」で良いのだろうか?
 昔、1羽飼育のメスの手乗り文鳥にスキンシップを重ねた結果、産卵を誘発してしまい、むしろ自分のために産卵する文鳥を、かえって愛おしく思う男の飼い主の姿を仮定し、それこそ身勝手な『男の論理』と糾弾するような話があったが、伊藤さんのこの方法を真似して「ベタ馴れ」にし、それを継続するなら、その結果は、まさにそうなるのではなかろうか?その解決法は、私にはわからない。
 
 もちろん、愛玩しやすい状態に手塩をかけてつくったモノに囲まれるのも、実に結構な趣味で、非難するには当たるまい。所詮、飼鳥など人間の身勝手だと、その知的生命体として当然備えているべき感性の欠如した可愛そうな人たちに言われても、それはそれで全否定はできないので、傍から見れば「同じ穴のムジナ」でしかない文鳥愛好者同士を非難することではないだろう。
 しかし、私は文鳥を「つくった」感覚を味わったことはないなぁ。技巧として「ベタ馴れ」状態にしようとも、芸事を教える気持ちもないからだと思うが、何しろみんな、勝手な個性を発揮するのだから、人智を超えていると実感するばかりだ。自分の思い通りにはならないから面白く、思い通りにつくれないから、興味が尽きないといった感覚なのだろう。
 文鳥という個性的な生き物の行動を、ただ、身近で観察したいだけでも、手乗りにした方が、よほど身近で観察しやすいので、その方法論を勧める。この感覚なら、特に「ベタ馴れ」にこだわることはあるまい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました