ガラスに映る自分に興味を示すアラシ
学校で、「イスラム国」に惨殺された邦人の画像を生徒に見せる教師が現れ、問題になっているそうだ(読売新聞)。
なぜ、見せてはいけないのか?未成年には刺激が強く、心の発達に悪影響を与えかねないから・・・、といった理由も、もちろん当然だが、それ以前に、遺体をさらし者にするのは不謹慎だから、だと私は思う。もちろん、日本においても、遺体をさらす行為はあったが、それはその遺体が生前に犯した罪に対する罰として行われたもので、通常、遺体を拝むのはその人の家族・親戚・特に親しい人たちに限られる。つまり、遺体を見せ物にしないのが、現代日本における一般常識なので、興味本位にその画像をネットで探したり、ましてや他人に見せて回るような者は、日本人として非常識なだけと言えよう。
なぜ、見せてはいけないのか?未成年には刺激が強く、心の発達に悪影響を与えかねないから・・・、といった理由も、もちろん当然だが、それ以前に、遺体をさらし者にするのは不謹慎だから、だと私は思う。もちろん、日本においても、遺体をさらす行為はあったが、それはその遺体が生前に犯した罪に対する罰として行われたもので、通常、遺体を拝むのはその人の家族・親戚・特に親しい人たちに限られる。つまり、遺体を見せ物にしないのが、現代日本における一般常識なので、興味本位にその画像をネットで探したり、ましてや他人に見せて回るような者は、日本人として非常識なだけと言えよう。
ショッキングな時事ネタで、生徒の関心を引き寄せる『素材』に思えても、遺体は遺体であり、たんなる物扱いは不当でしかない。日本の中世には、父親などの死者の遺志に背くことを「死骸敵対」などと表現することがあるように、日本には遺体に意思があるかの如く扱う文化的底流が存在しており、現在でも、最終的には燃やして骨になるだけの遺体を、丁重に扱う文化が根強い。こうした遺体への気遣いは、日本文化の優しさであり美徳ではなかろうか?それが、画像に過ぎなくても、死者をさらし者にせず、静かに冥福を祈る日本人らしさを、日本の教育者なら生徒に教えて頂きたいものである。
さて、話変わってアラシ。
最近、ガラスに映る自分の姿に興味を持ったのか、透明なガラスそのものに興味を持ったのか、とにかく、つついたり蹴飛ばしたりする姿が目撃されるようになった。昼には、ガラス窓に体当たりをすることがあり、かなり危険である。
何をしでかすかわからないので、透明なガラス窓は障子で隠すなど、気をつけたいと思う。
最近、ガラスに映る自分の姿に興味を持ったのか、透明なガラスそのものに興味を持ったのか、とにかく、つついたり蹴飛ばしたりする姿が目撃されるようになった。昼には、ガラス窓に体当たりをすることがあり、かなり危険である。
何をしでかすかわからないので、透明なガラス窓は障子で隠すなど、気をつけたいと思う。
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