『KAMAKURA』に牽強付会

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フラッシュで飛び跳ねる母似のキミョー
 
 キミョーと言えば、 サザンオールスターズの桑田さんに対する最近のネット上の批判は、奇妙なものが多いと思う。出身高校が同じなので擁護するわけではないが、例えば、「”エロ”を切り口にした独自情報をお届け」するとしている『メンズサイゾー』のコチラの記事は、結果として牽強付会(=こじつけ)の典型となってしまっている。問題は次の部分。
 
 桑田が政治や民族の問題に触れだしたのは最近のことではない。今から20年前の95年に発表されたサザンのアルバム曲『悲しみはメリーゴーランド』は「歴史が曲げた心には 隣の人が泣いてる」「己も恥ずかしい つぶらな少女の涙を誰が拭い去る」などと従軍慰安婦問題や創氏改名問題などを風刺したと思われる歌詞がメインテーマとなっている
 
 面白い着眼点での発見と言いたいところだが、残念なことに、単純な事実誤認をしている。『悲しみはメリーゴーランド』が収録されているアルバム『KAMAKURA』の発表は、1995年ではなく1985年なのだ。つまり、「従軍慰安婦」なるものに関するあの朝日新聞の虚報(1991年)よりずっと前。10年遡る1985年となると、お隣の大韓民国はまだ軍政下にあり、自国の民主化が課題となっており、ヘイトスピーチどころか「嫌韓」の言葉もなく、「韓流」の影も射さない時代である(2002年制作の『冬のソナタ』が日本で放映されたのは2004年)。
 また、1985年当時のサザンオールスターズはと言えば、社会派どころか学生バンド出身の軽薄イメージが残り、ボーカルの桑田さんは御年29歳で三十路前。まさか将来、紫綬褒章を受章するとは夢にも思わなかったに相違ない。もちろん、元従軍慰安婦を自称する人たちがカメラの前で泣き叫ぶようになるのは、はるかに後の話で、そんな事態が発生すると、当時は自由党員ですらなかった河野洋平さんが(『新自由クラブ』が「心中」するのは1986年)予見していたら、彼は衆議院議長どころか、神様として祀られる存在にならねばなるまい。なお、話をこじらせ火に油を注いだだけに終わる例の「河野談話」は、1993年のことだ。
 確かに、1995年の作品だったら、親韓反日ソング「マンセー!」とすべきでしょうが、その一昔前では話にならないわけです(と、突然【ですます】調になりますです)。無関係なことでも、その気になれば勝手にこじつられる危険性を示す一例にしかなっていないわけで、まったく、困ったものですね。
 せっかくなので、1995年のサザンオールスターズの活動状況を確認しましたら、長期の活動休止状態から『マンピーのG★SPOT』で華々しく復活を遂げた記念すべき年ではありませんか!どうです?「マンピーのGスポット!」などと連呼する紫綬褒章受章者と言うのは。我らが日本国の懐の深さを象徴するようではありませんか?
 それにしても、『KAMAKURA』は、スカ線の北鎌倉駅から建長寺の横までテクテク通学したような者には、思い入れが起きやすい作品なので、過去の名曲に対する軽薄な牽強付会は、悪気のない単純なケアレスミスが原因だと理解していても、不愉快でしたね。過去をいじるのは、慎重に為すべきなのは、むしろ嫌韓傾向の人たちには、身にしみてお分かりのはずでしょうに。現在の自分の感覚や思想に合わせて、歴史を牽強付会されたら、不愉快なはずです。お気を付けいただきたいものです。

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