ノーマルな姿のイトはん
昨年末の紅白歌合戦に端を発し、サザンオールスターズの桑田佳祐さんに対する非難が、特にネット上で盛んになっていたらしい(「紅白」見ないから知らない)。それに対し、桑田さんの側が謝罪を公表したそうで、またいろいろ裏事情を勘ぐられている(産経記事)。
思想の極端な人たちは、左も右も言動に余裕がなくて鬱陶しいものだが、桑田さんに関してなら、「交尾プリーズ!」とか「女呼んでもんでだいて・・・」とか「腰をからめすんげぇ~」とか、しょーもない歌を公衆の面前で唄い続けた挙句に、紫綬褒章もらっちゃったので、照れくさいだけだと思うなぁ。
思想の極端な人たちは、左も右も言動に余裕がなくて鬱陶しいものだが、桑田さんに関してなら、「交尾プリーズ!」とか「女呼んでもんでだいて・・・」とか「腰をからめすんげぇ~」とか、しょーもない歌を公衆の面前で唄い続けた挙句に、紫綬褒章もらっちゃったので、照れくさいだけだと思うなぁ。
さて、並ではない大地震が神戸市や淡路島を襲って20年になろうとしている今日、それにふさわしい話題を考えたかったのだが、まるで無関係な「並文鳥」についてになってしまう。なぜなら、4月にエポック社から文鳥の『ガチャガチャ』が発売されるらしく、そのノーマル文鳥のバージョンが「並文鳥」となっているのを見て、がっかりしたからだ。
再三繰り返しているが、「並文鳥」という品種は世の中に存在しない。大昔に、野生の文鳥を捕獲し輸入販売していた頃に、羽が乱れていたり艶がなかったり、カゴの中で落ち着き無く暴れているその野生動物を、白文鳥や桜文鳥に対し、上物ではなく飼い鳥としてより劣悪という意味で、『並』として区別したに過ぎない。つまり、野生動物を人間の都合で商売物にした挙句、さらにそれに低レベルとレッテルを貼っていたのだから、大昔の「鳥キチ」たちはのんきで身勝手と言えるかと思う。
再三繰り返しているが、「並文鳥」という品種は世の中に存在しない。大昔に、野生の文鳥を捕獲し輸入販売していた頃に、羽が乱れていたり艶がなかったり、カゴの中で落ち着き無く暴れているその野生動物を、白文鳥や桜文鳥に対し、上物ではなく飼い鳥としてより劣悪という意味で、『並』として区別したに過ぎない。つまり、野生動物を人間の都合で商売物にした挙句、さらにそれに低レベルとレッテルを貼っていたのだから、大昔の「鳥キチ」たちはのんきで身勝手と言えるかと思う。
当然、野生の文鳥をふんづかまえて狭いカゴにギュウギュウに押し込んで、遥か彼方の異国に連れてきて、飼い鳥としての尺度で見て「並」と見なすのは、お門違いでしかない。しかし、おそらく20年以上前から、その野生文鳥の捕獲も輸入も途絶しているので、そもそも「並文鳥」とアンポンタンな商品名をつけられてしまう野生文鳥は、存在しないのである。つまり、飼い鳥の商品名としての「並文鳥」も、消滅して久しいにも関わらず、ごく一部の訳知り顔の『文鳥博士』さんたちが、何も知らずに使っているだけに過ぎない。
もちろん、現在、白文鳥の影響を受けず白斑を持たない文鳥も存在する。しかし、それは白斑の少ない桜文鳥同士の掛け合わせを代々続けた結果だったり、欧米で原種から代々系統繁殖されたものであったり、シナモンなど劣性の因子を内在した結果であったりで、いずれにせよ飼い鳥として他の品種に劣ることはなく、「並」呼ばわりをすれば不当でしかない。
大昔の飼育本類に「並文鳥」とあっても、それは現在とは異なる世界での話なので、言葉の意味を考えず差別語を使う幼児同然に、「並文鳥」などと呼ぶべきではない、と私は思う。「並」の意味は、例えば牛丼屋の並盛りの「並」、特別ではない普通のものを意味するが、ノーマル=普通とはニュアンスが大きく異なる。日本語においては、「上」や「特上」の下位、三つの内なら下等のニュアンスでしかない。いったい、比較語のしかも下位を意味する言葉を品種名と見なして、他人の飼育する文鳥の品種名として連呼できるものだろうか?それは、失礼もど外れたものにしか、私には思えない。もちろん、ウチの文鳥に「並」などいないからね!
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