時計仕掛けの朝日新聞

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平たいイッツとメタボなノッチ
 
  朝日新聞の購読者と聞いて、私が連想するのは、『時計仕掛けのりんご』という手塚治虫の漫画だったりする。1970年に『週刊ポスト』に連載された漫画らしいが、自衛隊の反乱部隊が四方を山に囲まれた地方都市の住民に、思考能力が低下する薬物を混入した食べ物を与え、交通網を遮断し、テレビラジオなどの情報から隔離し、「朝日新聞」だけが読める状態にしてしまうことになっている。そして、その「朝日新聞」とは、本当の朝日新聞ではなく、自衛隊の反乱部隊による都市閉鎖を隠蔽するために捏造したものだったが、薬物に影響された市民たちは「朝日新聞がうそをのせるはずがないわ」と、その内容を信じてしまうのである。その異常に対して鈍感になった市民の姿は、あたかも「見かけはただのまともな果物だが、中身はからくり仕掛け」で、「一見ふだんとちっとも変わった点はない。【中略】だが心の中は、まったく時計仕掛けのように空虚」と、説明されている。
 その後、捏造を繰り返す朝日新聞の姿を、「漫画の神様」が予言していたようなものだが、私が朝日新聞を嫌いになったのは、記事の内容とは直接関係のない私怨によっている。それは、新聞配達をしていたいわゆる浪人生の時代に遡る。私の配っていたのは、毎日新聞だったのだが(毎日の愛読者だったからではなく、読売や朝日より広告が少なく、産経より配達する範囲が狭いとの勧誘に魅力を感じたため)、重なり合う地域の朝日新聞の配達員に良い印象を持てる人物が皆無だったのはまだしも、新規購読者の中に、「ウチは朝日しか読まないよ!」などと配達を拒否するケースが、何件もあったからである(なお、読売の配達員は愛嬌のある男だったが、フィリピンパブに入り浸り借金生活を送っていた。私の先輩には大学を何年も留年しつつ、丸井のカードローンで購入した服を着こんで、毎晩ディスコ通いする青森県出身者もいた。まさにバブルであった)。毎日と朝日で名前は似ているので、間違って契約してしまったのだろうとは思うが、それは誰の間違いなのだろうか?間違えであっても、洗剤だか何だかを受け取っている負い目もなく、「ウチは朝日しか読まないよ!」とは、どういった料簡なのであろうか?しかも、決まって『朝日』なのだ。当時の発行部数は、すでに読売が上回るくらいだったので、一軒くらい「ウチは読売しか読まないよ!」があっても良いではないか?ヤクザまがいでろくで無しばかりの新聞勧誘員に騙されたとしても、サインしてしまった以上は、契約書を確認して販売店に連絡し、受け取ったものを返納して契約無効にする旨を伝えるのが、正常な対応だと思う。そのような常識的な対応ができない者が比較的に多いとするなら、それしか読まないらしい朝日新聞の紙面には、人を洗脳して頭の中身が尋常でない「時計仕掛けのりんご」化する副作用があるのではないか、と勘ぐるようになってしまったのである。
 不幸にして、若い頃にこうした先入観を植えつけられてしまった私は、その後の朝日新聞が、KYな捏造なり誤報なり虚報なり何なりを繰り返し、あるいはプロパガンダを弄んでいるように感じても、格別なものとは見なせず(そもそも読んでいないので風聞に基づく)、「朝日しか読まない」人に対しても、「かわいそうに、なるべく関わらないようにしよう・・・」、と思うだけとなっている。したがって、昨今問題がようやく表面化した、日本の一部であった地域に住む日本国民(大日本帝国臣民)の婦女子を、拉致して性奴隷にしたなどと言う、常識の欠けらがあれば、ご立派な学歴を持たずとも、真っ赤な嘘だとわからない方が不思議な内容を、信じてしまうのは、「朝日しか読まない」からだろうと、あっさり苦もなく納得してしまう。だって、「朝日新聞がうそをのせるはずがないわ」である。
 しかし、購読していれば、朝日新聞にも良いところはあるだろう。今現在は知らないが、毎日新聞にしても、配っていた頃は、家庭文化面が充実していると感心させられたものだった。つまり、購読してみてわかる良さもあるはずで、購読しない外野が、政治面だけを取り上げて、朝日新聞を購読者を非難するとすれば、それは的外れでしかないだろう。しかし、政治面を含め、その内容を信じて疑わず「ウチは朝日しか読まないよ!」などと言うようでは、自分が「時計仕掛けのりんご」、だと告白するに等しいことになるかと思う。いかに愛読紙であっても、むしろ愛読紙なればこそ、是は是、非は非、しっかりと批判できる見識を持てるようにしたいものだと思うし、またそういった読者層が根付きやすい紙面づくりこそ、長い目で見れば、必要不可欠ではないかとも思う。
 今回、朝日が無反省を繰り返し再生が難しいなら、せっかく良い面に着目して愛読されている人たちも、購読紙の変更を考慮して良いかもしれない。その際は、ナベツネ読売や「右翼」?な産経は嫌だろうから、毎日でお茶を濁すのが無難であろうか?毎日の営業には、精々、頑張っていただきたいものである。
 さて、テレビ欄も見ない新聞の購読など、夕刊がなくて安い産経新聞であってさえ、お金の無駄使いのような気もする昨今だが、それはともかく、「ウチは文鳥しか飼わないよ!」は、私が文鳥に洗脳され時計仕掛けになってしまったから、というわけではないと思っている。飼わないのではなく、飼えないのである。
 セキセイやラブバードにも興味はあるが、わけても昔飼っていた十姉妹は、また飼いたい。しかし、20羽を超える文鳥たちが飛び交う中に、十姉妹数羽では、間違ってスラム街に引っ越してしまった善良な市民一家、荒野の荒くれ者が集う西部の街に迷い込んだ開拓者の一家、そのような連想が次々と頭に浮かんできて、実行不可となるのである。
 なお、我が家の荒くれ者たちは、「時計仕掛けのりんご」でも「時計仕掛けのオレンジ」でも「腐ったミカン」でも無いことは確かである。
 

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