『ソフトフルーツフード』をあさるラック
このアメリカンにカラフルな怪しげな食べ物が、それほどうまいものなのか、意を決して試食してみたいと思う、今日この頃である。
さて、唐突に、我が家周辺の地形図を眺め、そこにある小字を見てみる。まず「神戸」(ゴウド)がある。神戸の地名は各地にあって、コウベ、カンベなどとも呼ばれるが、古代に神社に与えられた封戸(ふこ)のことで、神社の戸(=家=土地)を意味するようになり、元々はどこかの神社の領域であったことを示している。
「上ノ台」「仲谷ツ」という小字もあるのだが、これはは自然地形を示している。この辺りは大宮台地の周縁部なので、台地の上下で5メートルほどの高低差で凸凹しており、凸の部分は台、その台に挟まれだ凹は谷と呼ばれるべき地形になっているのだ。しかも、ただの谷ではなく谷ツとするのは、少々面白いところで、これは現在の千葉県北西部に多い谷間の呼称で『谷津』と同じもののはずで、文化的なつながりを思わせる。
「叺原」というのもある。叺を「かます」と読める人は少ないかと思うが、この言葉が地名として出てくると、三方が高台で袋状になっている地形を示すことが多い。現状をざっと見る限り、台地上でさほどの高低差はないが、三方が多少高く森林帯で、それに囲まれた潅木地帯だったのかもしれない。
文鳥好きには、何となく嬉しいことに、「雀田」という小字もある。この地名も各地で見られるものだが、台地上で安定的な水路も望めない場所なので、雀が群がる田んぼの地を意味するのではなく、ちょっとした湧水程度で維持できる程度の小さな水田があったことを意味しているのかもしれない。
などと、字名が残っていると、いろいろ想像できて楽しいのだが、防災に役立つことは稀かと思う。例えば、窪とか泥とか溝とかは、昔、排水の悪い泥沼や深田が存在し、地盤が脆弱な可能性を示す地名であっても、そもそもが数メートル程度の表層の問題に過ぎないので、排水を良くして乾かして、それなりに固めてしまえば、他と変わらないかと思う。現在の地盤調査をしっかり行っていれば、地名を気にするまでもあるまい。
しかし、地名、それも古名が、その土地の持つ宿命を物語っているケースもある。何でも、今回、大きな被害が生じてしまった広島市安佐南区八木地区は、その昔「八木蛇落地悪谷」と呼ばれていたとの報道があるのだ。これが本当なら、過去にも同様の災害があって、居住不可とされた地域だったと見なす他ない。それは、八木(=いろいろな樹木や岩石)が川のように流れ降ってくる危険極まりない地域、という意味としか解しようがなく、そのネーミングからは、往時の被害者たちの天災に対する憎悪が感じられるよう。
『蛇』が、地名に現れる際は、川筋を示すことが多く、今年、やはり大雨による災害が起きてしまった長野県南木曽町では、土砂崩れを「蛇抜け」と呼ぶそうで、確かに、南木曽も八木も土砂崩れの起きた山肌は、大蛇の通り道か、蛇そのものの姿を思わせる不気味なものであった。
そこで、どのような地形か、改めて、グーグルアースで、災害前の八木地区の県営緑丘住宅あたりを確認した。今回、数百メートルの山の土砂は、谷間から一車線の狭い道路を左右の住宅を巻き込みつつ下って、谷の出口で扇状に拡散しており、その結果を知って見るなら、まさに東京新聞の論説委員氏のごとくの感想となるだろうが、災害前から、この地域が過去の土砂崩れの堆積による扇状地であることは、読み取れる。見れば、背後の山並みは500メートルを超える主峰に数百メートル級の峰が連なる巨大な山容を示しているが、土砂崩れのあった地域の山あいから、南の太田川に抜ける水路や小川がほとんど存在しないのである。これは、山からの水は、過去の土砂崩れで堆積した表層の下を伏流となって流れ下っていると見なすのが妥当なのである。しかも、少なくとも3つ隣り合うこの斜面の扇状地の中では、最も谷が深く危険性が高いとの想定は、安易に可能であったと言える。
悠久の視点に立てば、山は風化して崩れるものであり、それは雨によって崩れ流され、土砂を平地に扇状にばらまくことを意味している。山の多い日本では、その扇状地に住む者が多くなるのは必然で、我々は、災害を起こした過去の上に日常生活を送っていることも多いのである。ただし、それが過疎地にポツリポツリとそれぞれの必要性で住んでいるのと、何らかの行政側の志向性に基づいて住宅地として整備され、都市の一部として集住させるのとは、根本的に異なる。その危険な地域に、どれだけの人間が住み、どれだけの備えをしているか、それは個々の都市民の責任とは言えない。
昨日も書いたが、都市とは、その原型は西欧ではポリスという城塞都市であり、中国では都城で、やはり城壁に囲まれた街を指すのである。それは外敵の襲来に備えるためだが、一面で自然の猛威に対する防御壁ともなっていたのである。それが現在であれば、都市と称する以上は、自然災害に対する防御壁を有していなければならない。理由は、昨日も書いたように、人が集住しており、ひとつの災害で失われる人命や財産が多く、その一方で集住しているために守りやすいからである。自然災害から守られると無意識にも安心感を持つから、都市なんぞに集住しているとも言えよう。
つまり、本来危険極まりない扇状地に県営住宅を建てたり、宅地整備などして人を集住させるのであれば、自然の猛威から防御策を十分に講じなければならなかったと、私は思う。安全な都市部として人を集めるのであれば、所詮、地理的知識の乏しい都市民に(なぜなら地理は高等教育の必修ではないのだ!)、防災への自覚を促す前に、行政としての責任を果たすべきなのである。都市のつもりで住んだら、自然の猛威と直接対峙するような場所だったでは、詐欺ではないかと思うのである。
ハザードマップで住民に危険性を情報として伝えるのは、当然必要なことだろう。しかし、都市は自然の災害から城壁により守られるべき存在で、実際、都市民は、何の危機感もなく日常生活を送っているのが現実で、情報を与えようとどうしようと、それが自然を捨てて都市の安全に生きる都市民の本質である以上、根本的意識を変えるのは不可能である現実を、しっかり自覚して、行政には対処してもらいたいものだと思う。
ハザードマップで住民に危険性を情報として伝えるのは、当然必要なことだろう。しかし、都市は自然の災害から城壁により守られるべき存在で、実際、都市民は、何の危機感もなく日常生活を送っているのが現実で、情報を与えようとどうしようと、それが自然を捨てて都市の安全に生きる都市民の本質である以上、根本的意識を変えるのは不可能である現実を、しっかり自覚して、行政には対処してもらいたいものだと思う。
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