何が自然で不自然か

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ギター弾いてるみたいなイトはん
 
 イトとシューの柑橘類の食べ方は、芸術的ですらある、と飼い主は思うのである。
 
 昨日の話は、もう少し付け加えておいた方が良いかもしれない。
 文鳥は、自然状態では、つがい(漢字では『番』)つまり夫婦単位で行動する生き物だ、と見なされる。従って、1羽飼育である時点で、それは不自然な状態だ。しかし、手乗りの場合は、飼い主を伴侶と見なすので(飼い主の性別は無関係。そもそも文鳥の場合、相手が文鳥でも、性別は気にしない・・・)、飼い主と仲良く生活するのは、自然と言える。文鳥の主観から見て、伴侶と生活しているのだから、自然なのである。
 飼い主は、人間なので当然だが、自分は人間で相手は文鳥だと認識している。しかし、それは文鳥の預かり知るところではない。文鳥から見れば、飼い主は夫であり妻なのである。よくある誤解として、手乗り文鳥を懐く(なつく)ものと見なす考え方がある。しかし、伴侶とすべき相手が「1体」しかいない以上、なつく=慣れ親しむなどという生半可なものではなく、まさに愛されている、と自覚すべきだろう。
 つがいであれば、オス(夫)なら巣を作り、メス(妻)は産卵するのが自然である。夫の立場の飼い主が、巣を用意するのは自然であり、妻である手乗り文鳥が産卵するのも、もちろん、自然である。ただ、夫となっている飼い主は、客観的には人間に他ならないので、無闇に発情を促すようなことは避け、栄養面で軟卵とならないように留意したり、凍えるような寒さの中で産卵するようなことのないように、環境を整えることは可能なはずだ。
 文鳥にとっての自然な行動を、サポートする、これが肝心ではなかろうか?夫と信じていた相手が、妊娠を知った途端に冷たくなって、話もしてくれない、そんな不自然なことは、文鳥に対しても、やってはならないことだと思う。

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