枝豆を喰うサーフボード
初心者が文鳥を複数飼育するのを、その飼育スタイルに関してなら、経験十分の私が勧めない理由は、たくさんいればたくさんの臨終に接するから、である。初心者は調子に乗っていろいろ買って増やしてしまいがちだが、そうなると将来、不幸が重なる可能性も増え、それまでにペットロスに対して経験がないと、かなり精神的に苦痛となるのが、ほぼ確実だと予想できるのだ。従って、増やすにしても、ペアにし、繁殖し、と段階を踏んでいったり、自分なりにいろいろじっくり考えてから、時間差を持って進めること、例えば繁殖の予定がない場合は、1、2年に1羽ずつ増やしていくくらいが、無難かと思う。
当然ながら、ペットロスは、思い入れが1点集中する1羽飼育で、格別に強烈なストーレートを叩き込まれるような衝撃を受けるはずだが、複数羽での連続も、また、ボディーブローを何度も受けるような、別の深刻さがある。これは、どれほど想像力が豊かでも、経験しない限り、自分の精神状態がどうなるか、事前にはつかみにくい。大して思い入れもなく、たくさんいる中の1羽程度の認識なら、日頃も大して面白い発見もできないが、その死も、たくさんいる中の1羽のもので済むかもしれない。しかし、日頃いろいろ発見するほど観察して思い入れが強くなっていくと、それでは済まなくなるのである。
さて、飼育本は、それにより初心者の飼育が、とりあえず無難に可能になるように、書かれるべきものと理解している。もし、余計な知識ばかりを多く取り上げれば、批判できるだけの知識も経験もない初心者は、熟読して鵜呑みにし、その本当は怪しげな知識を、金科玉条のごとく思い込み、挙句は、自分で考えもせず受け売りのウンチクを語りたがり、似た者同士でSNSなどに群れて、その聞きかじっただけの知識を交換しあって、自己満足に浸る。といった、偏見を私は持っていて、この偏見はぬぐい去られるどころか、年年歳歳深まってしまっている。
他人から得た知識は、自分でしっかり検証し、他人の批判に耐えられるようにしてからでなければ、公にすべきでない。もし公にするとすれば、それは、その場に集う人たちとの「内輪盛り上がり」さえ成立すれば良い無責任なおしゃべりと、混同している態度だと、私は思う(何とかいう細胞が「ありまーす」と公の場で軽ーく発言した某女史を思い出す)。しかし、公私をわきまえないと、いろいろ不都合が起き、『私』的と思って『公』開する矛盾を犯して、社会的に指弾されるようなことにもなる(一時の「バカッター」騒ぎを思い出す)。
初心者に向けた飼育本が、知識の宝庫で話題に事欠かず、おしゃべりの種になる必要などない。 そのおしゃべりが、どういった悪影響をもたらし得るのか、十分に配慮することこそ求められねばならない。従って、飼育本は、つまらないし面倒なものだな、と思う(ネット限定とは言え・・・)。
なお、本日、飼い主の頭上で、ポン・アイVSテン・エコの、数週間に一度の争いが繰り広げられていたので、複数飼育の現場の一例として、動画を残しておく↓。このような感じで、ガーガー騒いで、それに注目するとやかましいが、実際は、飼い主は気にせずテレビを聞いているのである。もちろん、威嚇だけで、攻撃は無く、周囲の文鳥たちも、冷やかしに飛び回ったり、のぞき見たりするくらいのものだ。
30秒未満だが、よく見ると、個々の文鳥たちの「顔つき」が面白いかと思う。
30秒未満だが、よく見ると、個々の文鳥たちの「顔つき」が面白いかと思う。
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