鏡の自分たちにケンカを売る極道夫婦(エコ・テン)
学研から、明日なのか数日後なのか、『小鳥のキモチ』というムック本が販売される。そこに、例の文鳥家紋手ぬぐいを紹介していただいているのだが、昨日、見本誌まで送っていただいた(ポストに入っているのに気づいたのは今朝)。内容は、ほぼ『インコのキモチ』なので、文鳥専門の人間には、大きな期待は出来ない。しかし、インコとの共通点や相違点を考えさせられる内容とも言える。インコも好きな人なら、特に偏りはないと思えるので、楽しめるのではなかろうか。少なくとも、一部の獣医さんが上滑った飼育論や畑違いの栄養学分野の思い込みで、多くの誤解を生むようなことはないかと思う。
インコという生き物を、残念ながら飼ったことがないのだが、小型のセキセイから大型のものまで、すべからく賢いのは理解できる。しかも、自分の気持ちを飼い主に理解させる賢さがあると主張されても(『もの思う鳥たち』)、私は驚かない。つまり、飼い主のために、わかりやすく単純化して伝えている疑惑が生じる賢さと言えようか。
一方、文鳥の方は、飼い主に対する配慮はない、ように思う。従って、その気持ちは、なかなか理解されないことにもなっている。この仕草をすればこういった気持ち、と断定出来ることが少なく、そもそも気持ちがコロコロと変わって、めまぐるしいのである。しかし、表情なり態度に演技性がほとんど無いだけに、油断ならない賢い生き物という前提で、何を考えているのか絶えず推理していると、むしろ深く気持ちがわかるのではなかろうか?
文鳥でもインコでも犬でも猫でも人間の赤ん坊でも子供でも成人でさえ、こういった仕草はこういった意味、と解釈出来るのは、ごく一般的な基礎部分に過ぎないと思う。それを踏まえた上で、個々の特徴を把握し、それ以前の変化などから感じ取れる部分を増やしていくのが、一緒に生活する飼育で求められることかと思う。従って、飼育初心者で、何となく別の生き物を人間とは違うものと見て、気持ちがわからないと、簡単に思ってしまうような人は、こういった『~キモチ』系を参考にしつつ、さらに相手の気持ちを感じ取れるように、頑張ってくれたら、と、多少上から目線で、思う。
・・・それにしても、この極道夫婦は、賢いのかバカップルなのか、永遠の謎だ。
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