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水浴びしまくるサカ坊
若い後妻がまだ産卵を継続するので、そのお付き合いのため換羽に入れないサカ坊。今日の暑さに、少々バテ気味であった(開口呼吸が見られたのは彼だけ)。無理せず、のんびりして頂きたいものだ。
例の卵は、やはり中止卵だった。取り出したところ1gと軽量になっており(文鳥の卵は、通常2g程度)、強力ライトで透かし見たところ、ヒナの形を成していなかった。おそらく、検卵して2日と経たずに中止卵となり 、水分が蒸発して軽くなったのだろう。
アト氏には、来シーズンに期待したいところだが、子どもがいなくても、見ていて面白いし、年々どこまで白くなるかも見ものだし、それはそれで良いかと思う。
アトは、容姿に目がいってしまうが、性格も面白い。彼は、故キュー様に一方的なライバル心を抱いていて、キュー様が飼い主と「会話」するのをうらやみ、自分も話しかけられるのを好むようになった。ただ、残念なことに、理解できるのは自分の名前「アト」だけ。例えば、「アトはかわいいね」と言っても、同じ口調で「アトってバカだね」と言っても、うっとりと喜んでしまう。
そんなのは当たり前?ところが、人語を解する天才は、「かわいいね」だと喜んで愛想を振りまくが、否定的な言葉を、いくら猫なで声で言っても、プイと飛んでいってしまうのである。実に空恐ろしく、私はこの現象を科学的に説明できない。
アト氏には、来シーズンに期待したいところだが、子どもがいなくても、見ていて面白いし、年々どこまで白くなるかも見ものだし、それはそれで良いかと思う。
アトは、容姿に目がいってしまうが、性格も面白い。彼は、故キュー様に一方的なライバル心を抱いていて、キュー様が飼い主と「会話」するのをうらやみ、自分も話しかけられるのを好むようになった。ただ、残念なことに、理解できるのは自分の名前「アト」だけ。例えば、「アトはかわいいね」と言っても、同じ口調で「アトってバカだね」と言っても、うっとりと喜んでしまう。
そんなのは当たり前?ところが、人語を解する天才は、「かわいいね」だと喜んで愛想を振りまくが、否定的な言葉を、いくら猫なで声で言っても、プイと飛んでいってしまうのである。実に空恐ろしく、私はこの現象を科学的に説明できない。
そう言えば、文鳥のマンガに文鳥が自分の名前を理解しているのに驚いている場面があり、それが驚くことかと、飼い主たちの反応に驚いてしまったことがある。自分の呼称を理解していない文鳥なんて、いるのだろうか?
例えばリオなど、我が家にやってきて日が浅く、ぼんやりおっとりした文鳥だが、「リオ」という言葉には反応する。止まり木にクチバシをこすりつけて喜び、時にはさえずってくれるのである。自分の名称がリオだと理解しているのかは定かでないが、「リオ」が自分に対してだけの呼びかけであることは、理解していると見なせる。
それは、非科学的な思い込みではあるまい。小鳥はさえずりで求愛するように、その鳴き声には敏感で、鳴き方も色々と使い分けるし、人間では聞き分けるのは困難な、仲間同士の声の中で、パートナーの声を聞き分けられる。飼い主が自分にだけ決まって発する言葉くらい、理解しないほうがおかしいのだ。
自分に対する特別な呼称を理解するなど、ごく当たり前で、文鳥の場合、それに対する態度にこそ、その驚異の賢さが現れると、私は思っている。何しろ、我が家では20数羽が毎晩飛び交っているのだ。それも、一族で似たような桜文鳥が多い。となれば、飼い主が名前を間違えて呼ぶことも多い。そうした時にどうなるかと言えば、文鳥は「チェっ!」と舌打ちするようにプイと目の前から立ち去ったり、怪訝な表情と言うのか「オメぇ、なに言ってんだぁ?」と横顔で見上げられ、名前を間違いたことに気づかされる。もちろん、自分の名前を呼ばれた時も、返事してくれたり、近寄ったりせず、同じように横顔で見上げるだけの場合もあるが、その時の表情は「なんか用か?」なので、間違っていないことがわかる
例えばリオなど、我が家にやってきて日が浅く、ぼんやりおっとりした文鳥だが、「リオ」という言葉には反応する。止まり木にクチバシをこすりつけて喜び、時にはさえずってくれるのである。自分の名称がリオだと理解しているのかは定かでないが、「リオ」が自分に対してだけの呼びかけであることは、理解していると見なせる。
それは、非科学的な思い込みではあるまい。小鳥はさえずりで求愛するように、その鳴き声には敏感で、鳴き方も色々と使い分けるし、人間では聞き分けるのは困難な、仲間同士の声の中で、パートナーの声を聞き分けられる。飼い主が自分にだけ決まって発する言葉くらい、理解しないほうがおかしいのだ。
自分に対する特別な呼称を理解するなど、ごく当たり前で、文鳥の場合、それに対する態度にこそ、その驚異の賢さが現れると、私は思っている。何しろ、我が家では20数羽が毎晩飛び交っているのだ。それも、一族で似たような桜文鳥が多い。となれば、飼い主が名前を間違えて呼ぶことも多い。そうした時にどうなるかと言えば、文鳥は「チェっ!」と舌打ちするようにプイと目の前から立ち去ったり、怪訝な表情と言うのか「オメぇ、なに言ってんだぁ?」と横顔で見上げられ、名前を間違いたことに気づかされる。もちろん、自分の名前を呼ばれた時も、返事してくれたり、近寄ったりせず、同じように横顔で見上げるだけの場合もあるが、その時の表情は「なんか用か?」なので、間違っていないことがわかる
私が超能力者と言うわけではない。マンガなどでデフォルメされる表情が、付き合っていけば、その目の輝きなどから、感じとれるのである。つまり、感情が豊かなのであり、感情が豊かなら、賢いと見なすべき だと私は思っている。感情が豊かな文鳥の特性を理解しながら、愚かな生き物と思い込むのは、不思議な話ではなかろうか?
よく、インコと文鳥を比べる人がいる。私はインコを飼ったことがないので知らないのだが、セキセイにせよ大型インコにせよ、文鳥よりも「表情」読むのは難しいのではなかろうか?彼らは、モノマネや足先での遊びなどで、飼い主とのコミュニケーションをはかり意思表示も出来る場合があるはずだが、それは賢さよりも、表現方法で、身体的な特性に負うところが多い。
つまり、どちらも賢い生き物だが、文鳥の賢さはなかなか分かりづらいものなのだと思う。わかれば、よほど奥深いのに、鈍感な人が多いのではないかと、少し優越感に浸ってしまう。
つまり、どちらも賢い生き物だが、文鳥の賢さはなかなか分かりづらいものなのだと思う。わかれば、よほど奥深いのに、鈍感な人が多いのではないかと、少し優越感に浸ってしまう。
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