オボちゃんの今後よりワカメちゃんの今後

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実に正しいワカメちゃん

 正直とは、「正しくてまっすぐなこと。偽りのないこと」だ(辞書にそう書いてあった)。天然自然に振舞って、正直者で有り続けるのは、まず不可能なので、正直であろうとすれば、偽りで人を騙すようなことにならないように、常に気をつける必要があるかと、私は思う。従って、正直者とは、自他の偽りに鋭敏な人で、詐欺には引っ掛かりにくい人が多いはずだ。
 いやいや、「正直者はバカを見る」などと、俗に言うではないか、と思われるかもしれない。しかし、その俗な表現は、正直と素直を混同しているのではなかろうか。例えば、子供や孫になりすますなど、言葉巧みに金銭を要求する相手に、やすやすと老後の資金を渡してしまうご老人たちは、素直な善人に相違ないが、正直者ではないだろう。
 なぜなら、本当に正直であれば、子供や孫の偽りを許すはずがないからである。他人にものを頼む、それも孝行すべき相手が人生で汗を流して貯めた金銭を借りるのに、電話一本で済ますような真似が、正直者に出来るであろうか?預金通帳片手に、自分が善悪の範を示すべき子や孫に対し、真っ先に善悪を忘れ、あたふたと銀行に駆け込むなど、自分にも子や孫にも、甘いだけで何の考えもないことを、露骨に示しているだけと言えよう。それは、自分の感情に素直なだけなのである。
 素直な善人で有り続けられたは、これまで幸運にも悪人に遭遇しなかっただけの偶然、正直者で有り続けるのは、自他の偽りを見つめた結果の必然なのだと思う。

 で、今日、何やら会見をしていた話題の方は、たぶん素直な人なのだろうとの印象を深くした。つまり、正直者とは見なせない。
 何でも、学術論文の作成方法などについて、指導を十分に受けた経験が無かったそうで、「自己流」だったと反省していた。しかし、学者など誰であれ、「自己流」に決まっているのである。論文の書き方など、教わるものではなく学ぶものだ。それは、先行論文を真摯に読み、どのようにデータ処理をし、どのような論理構成をするのか、学び取ること以外ではなく、それを繰り返していれば、ガッコのセンセに教わる必要などないのである。
 「自己流」で、コピペしたり切り貼りしたり資料の差し替えをしたりしていた事実を見れば、自他の論文に偽りはないかを検証するという、研究者として欠くべからざる部分を、恐ろしいまでに軽快さで欠いていると見なす他ない。つまり、自分の興味関心の赴くところ、実験を繰り返しているに過ぎなかったわけで、これでは、何とか細胞を何百回作り出しても、実験マニアの道楽と、正直な研究者からは、相手にされないだろう。
 客観性も挙証責任も果たさず、「200回成功しました」などと、実に素直な発言をしてしまう。それは本当なのかもしれないが、他人を納得させる論文を提示して初めて言えることだと自覚できない・・・。何を反省しているのであろうか?「リーダー」などと肩書きがある科学者・研究者なら、素直ではなく、正直であって欲しかったと、残念に思えてならない。

 小さい字の時事はさておき、ウチのワカメちゃん。タネ吉さん。
 羽が生えてきている!このまま、夫にハゲ増されず、立派な羽毛になってもらいたい。
 このままの方が特徴があって面白いのだが、ケコンドル化されても困るので、とりあえずごく平凡に戻ることを祈る。
 

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