そこはかとなく胡散臭い


​ジュウシマツの兄弟とウノ​​
 料理の服部さんが亡くなったとのことのことで、何の関係も無いがご冥福をお祈りする。
​ やさしげな物腰にそこはかとなく漂う胡散臭さが印象的な人だったが、料理専門学校の経営者と言う以外は何も知らなかった。そこで少し調べると、「1561年(永禄4年)に発祥し、明治17年に日本に初めてカレーを紹介した『服部流割烹』17代目家元の孫」を自称するが、本名は染谷さんで、料理関係の国家資格は何も所持していない、といったことがネット上で散見された。​
 ・・・すごい、胡散臭さが振り切れている。
 わかりやすい嘘としてはカレーを紹介したというもの。ウィキペディアによれば、1868年(明治元年)にイギリス経由で伝来し、1872年(明治4年)仮名垣魯文によって編纂された『西洋料理通』などにより一般的なものになっていったそうなので、残念ながら、割烹の家元に出る幕はなさそうだ。もちろん、明治17年に染谷家のご先祖が初めてカレーを食べたのかもしれないが、それは他人の知ったことではない。
 だいたい「割烹の家元」とは何だろう?代々続く料理の家として私が思い出すのは、四条流庖丁道くらいだ。四条流は、今でも神事の際に烏帽子装束で魚をさばいているので、テレビで見たことがある人も多いはずだが、こちらは9世紀の藤原山陰(伊達政宗の遠い先祖でもある)に由来しており、1489年(長享3年)には料理法も含む『四条流包丁書』が編まれ、およそ日本料理の源流と位置付けられる存在である。そのような中流貴族の四条家が家職とする世界が成立しているところに、少なくとも貴族ではない服部さんが割って入るのは不可能なので、歴代々続く割烹の家と言う設定は、現実的ではなさそうに思える。
 ようするに、「1561年(永禄4年)に発祥し、明治17年に日本に初めてカレーを紹介した『服部流割烹』17代目家元の孫」は、事実とは見なせない。その点、2007年に文春その他が指摘したのに対し、ご本人も、「服部はただのビジネス上の通称で父が服部家の料理学校を手伝っていた縁で名乗ったもの」と説明していたようだ。
 ようするに、染谷パパの主観では尊重すべき師匠の「服部」を真似て、さらに箔を付けようとしたのか、服部家自体が何か由緒話を創作していたのかして、それも受け継ぎ発展させた?のだろう。
 これをして、「デタラメ言いやがって!」と非難することも出来ようが、先祖を虚飾するのは自然なことで、実害がなければ、罪のない嘘、面白い虚飾、嘘とわかっていて笑える余裕があっても良いのではなかろうか。「そこはかとなく漂う胡散臭さ」は、あった方が面白いかと思う。真面目な人は感心し、知ってる人はまた始まったと笑う、それで良いのでは、と思う。
 なお、料理専門学校の校長で、腕前をテレビカメラの前で披露したこともあるくせに、実際は調理免許も何も持っていないのは如何なものか、といった批判については、言いがかりだと思う。では、お聞きするが、これも有名な料理専門学校「辻調」、その創始者は料理研究家で料理人ではないのをご存じだろうか。その後を継いだ息子さんは、優秀な経営者とお見受けするが、当然ながら料理人ではない。なぜ、辻家は評価し、染谷家を非難することが出来るだろう・・・、それこそ「そこはかとなく漂う胡散臭さ」故だろうが、面白いではないか、庶民的に脇が甘くて。経営に専念しているように装えば良いのに、ひょいひょい出て来て料理して見せるとは、やはりそこはかとなく胡散臭い貴重なキャラクターだったと言うべきだろう。やすらかに。
 そこで、私も自分の家系を飾ってみようか。
 古代の鳥養部(とりかいべ)より歴代々朝廷に仕えて鳥の飼育にあたり、その一族が江戸将軍家に属し文鳥道家元を称して奥向きで飼育される小鳥を飼育にあたっている。1605年(慶長9年)初めてインドネシアから文鳥を連れ帰り徳川家康に献上した初代文吉右衛門以来16代を数える。
 私の趣味ではないな。先祖などどうでも良いのだよ、文鳥の飼育の役になど立たない。はったりでどうにかなるものでもない。誰かの話ではなく、自分の目でしっかり見なくてはならないし、見てわかるかわからないかは知識とセンスの問題だろう。
 さて、相変わらず嘘ならぬウノは十姉妹マニアだな。こういった不思議現象がざらに起きるのが文鳥との生活の楽しいところと言えよう。

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