ケージは牢獄ではない

Untitled3.jpg
空飛ぶ妻ニチィ

Untitled2.jpg
地を行く夫アト

 こういった自由気ままな様子を見ると、鳥カゴ(ケージ・cage)にいるのは不自由で気の毒に思う人も多いだろう。しかし、それは人間の主観に頼った勘違いだと、私は思っている。

 以前にも同主旨のことを書いたかもしれないが、とある機会を得たので繰り返しておく。
 「カゴの中の鳥」は、不自由の比喩表現だが、それは詩的な素質のある人間が、勝手にそう思っているだけに過ぎない。では、リアリスト思考で、手乗り文鳥にとっての鳥カゴとは何かと言えば、それは個室である。寝場所であり、くつろげる場所なのだから、個室だろう。もし、あなたに子供がいて、ある程度大きくなったので、子供部屋として6畳間の1つでも宛てがったと想像していただきたい。子供はそこを自分の空間と心得て成長に従って好き勝手に利用するはずだが、それを以て、親が子供を牢獄に閉じ込めたと見なす人がいるだろうか?
 あるいは、自分で出入り可能な個室と、自力では出入り不能な鳥カゴでは、まったく異なるとの反論もあるだろう。しかし、それは、無意識のうちに人間と文鳥を同一の生き物と誤解している意見であり、そもそも、人間の子供でさえ、自分の自由意思で、部屋に閉じこもっている者が少なくない現実を無視している。もしかしたら、トイレ付きで飲食も出来る個室なら、引き篭らない方が珍しいかもしれないのである。つまり、自由意思がある人間も、個室に篭るのは不自然とは言えまい。
 あるいは、マイホーム、「せまいながらも楽しい我が家」と見なしても良い。文鳥にとって、カゴの外の空間には危険が潜んでいる。愛する飼い主も、残念ながら体のパーツには意思がないので、注意力を失えば、巨大で可動する危険な障害物にも成り得る。これは、人間にとって、屋外での活動には自動車その他の危険物が存在し、屋内よりも緊張しなければならないのと同じだ。では、いったい、家の中や部屋の中で過ごす時間が長い人間ほど、不自由なのであろうか?

 文鳥がカゴの中にいる状態でリラックスしているなら、それを不自由な状態と見なすのは不適当だ。自由意思で出られるとか出られないと言うのは、そういった思考が出来る人間の話であり、それはそのまま小鳥に当てはめてはならない。むしろ、リラックスできる空間という共通項にこそ、着目すべきだ。
 飼い主は、人間とは異なる生物である文鳥に、人間的な自由を与えたつもりで、人間としての自分が納得する以上に、文鳥が人間の居住空間でリラックスして安全に生活出来るために、カゴという個室を提供した方が、よほど自然と見なし得るのである。
 ちょっと視点を変えて、カゴに閉じ込めているのではなく、個室でリラックスしてもらっている、と考えて頂きたいものだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました