アイキョーとアイキュー

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奥で佇むサク

 「アイキョー(愛嬌)もアイキュー(IQ)も無いんじゃ、取り柄無しじゃないか?」
 と、他人と会話する際に言ったり思ったりする人もいるだろう(もちろん、私がそうである)。では、文鳥に当てはめて、この「アイキ」無しの取り柄無しがいるものか、ふと考えた。
 結論は、いない、となった。頭が悪いと言うのは、すでにして愛嬌が芽生えている状態なので、人為的な恣意(劣等感や優越感といったもの)が働かない文鳥では、いずれも愛嬌があるように見えるのだ。
 例えば、サク。ぼんやりしていて、一見「アイキ」無しだが、よくよく見れば間抜けな顔つきは愛嬌があり、捕獲してカゴに帰す際、脱力状態となるのは、掴ませてくれない手乗り文鳥たちより、よほど愛嬌を感じる。
 非手乗りの文鳥を、つまらない存在、せいぜい観賞用くらいにしか見ないのは、ちょっともったいないと、私は思う。何となく、最近さらに老いを感じるサクも、のんびり長生きしてもらいたいものだ。

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