擬卵を、枕・抱き枕にする「アラ」
1980年代の鷲尾氏の文鳥飼育本は、著者の思い込みが濃厚で、私にとっては興味深いものの、現在の初心者が読むには注意が必要な内容であることについては、たびたび指摘しているところだ。「ケンカを仕かける鳥を鳥カゴから出して、頭を軽くたたいてたしなめます」などと平然と書いてあるのだから、今現在の感覚では、禁書と言われても止むを得まい。
2010年の伊藤氏の文鳥飼育本(誠文堂新光社『ザ・文鳥』)も、以前指摘したかもしれないが、著者の思い込みが濃厚な内容で、残念ながら初心者にはお薦めできない。例えば、「(青菜の栽培には)葉に強力な農薬を使うことが常識であるため、水洗いを念入りにしても不安は残ります」と断言し、「実際に小松菜などの農薬で飼い鳥が死んだ事例もあります」として、「可能な限り信頼のおける無農薬野菜」を与えるように薦めているのは、思い込みでしかあるまい。
当然ながら、誰かの自己申告だけでは、「小松菜などの農薬で飼い鳥が死んだ事例」が実際にあったと認定することは出来ず、それを事実と見なせるほど安易な話ではないのだ。むしろ、少しでも野菜の栽培や農薬に関する知識があれば、そのような急性症状を引き起こす農薬自体が稀有なのは常識に類するだろうし、その今では稀有な劇薬を、使用基準量を無視して散布するなど想定すら難しい事態であり、もし事実であれば、迷わず最寄りの保健所にでも報告して、調査させねばならない重大事案なのである。事実なら、人的被害が出る前に、早急に回収しなければならず、「ウチの文鳥」の問題では済ませたら、社会的に無責任と言わねばならない。
善人ほど、他人の体験談をそのまま事実と受け止めてしまいがちだが、体験談は、いかに具体的に聞こえても、その個人の主観なので、すべてが客観的事実と認めるわけにはいかない(一人の人間が見える範囲は部分的で、全体の事はわからないことが多い)。もし、個人の主観を鵜呑みにするだけで、客観的事実として広めてしまえば、風説を流布した張本人となりかねないので、注意が必要となる。
この新旧の文鳥飼育本、私は著者の思い込み濃厚な点に、その共通点を見出しているわけだが、より具体的な個々の主張にも一致しているところがある。ともに、文鳥の雌雄の産み分け比率には、季節的な変化があるとしているのだ。
鷲尾氏は、「秋のヒナはオスが多い」とし、「どういうわけか、秋の一番子(最初にふ化したヒナたち)は、オスが多いといわれます。実際に、ヒナを見てみると、確率からいって、オスのほうが多いようです。それが春から初夏にかけては、逆にメスが多くなります」としている。一方、伊藤氏も、「傾向として、兄弟の上にはオス、下はメスが多いように感じます」「母鳥が1~2歳であれば生まれるヒナはオスが多く、中~高齢だとメスが生まれるようです」と、根拠不明の私見を開陳された上で、「繁殖期が始まったばかりの秋にはオスが多く生まれ、繁殖期の終わり(中略)は、メスのヒナが多いとも言われます」と、書かれている。
もしかしたら、飼鳥団体か何かの内部に「秋のヒナはオスが多い」といった言い伝えがあり、定説化されていて、どちらもそれを信じているのかもしれない。しかし、そのような根拠を欠く言い伝えを、第三者が事実として認める必要があるだろうか?例えば、何千、何万羽ものサンプリング調査の結果、秋仔の雌雄比率が♂51対♀49で、春仔の雌雄比率が♂49対♀51だったと判明しても、一般で飼育する上で、その些細な相違に何の意味があるだろうか?科学的な例外と言えるほど、雌雄の発生比率に大きな偏差があると主張するなら、得体の知れない経験則という思い込みで断定するなど、非科学的で論理性に欠き、お話にならない。そのように自分の経験だけで語って良いなら、私も経験に基づき即否定しなければならず、同様の経験者も多いはずだ。
そもそも、人間と異なり、文鳥という生物種の雌雄の産み分け割合自体が、よく分からず、何となくの経験則で、半々のように思えているだけと言える。そのようなあやふやな現状や、動物学における性比の研究内容を多少とも認識していれば、季節的変化とか、生んだ順番による相違など、どうして安易に言及出来るのか、不思議なだけである。まして、鷲尾氏が、ヒナ段階で「オスが欲しいときは秋に、メスが欲しいときは春に買う」などとするのは、あまりにも無責任に思えてしまう。
なぜ、ご両所は、飼育本を読んで参考にするような一般の飼い主にとって、無意味なばかりか、その選択を混乱させるだけのあやふやで非科学的な内容を、わざわざ紙面を割いて指摘したがるのであろうか?私には、無駄よりも有害なおしゃべりにしか見えず、むしろ理解不能だ。
※ 雌雄の比率(性比)は1対1で同等なのが一般的。文鳥などの鳥類では、性別は卵子に含まれる性染色体のタイプで決まるので、性比に変動があるとすれば、母鳥の体調などが関係していると推定しなければならない。しかしながら、繁殖が繁殖期に何度可能であるか確定的ではないので、繁殖回数による大幅な性比の変動は起こりにくいと思われる。なお、この件については、長谷川眞理子著『雄と雌の数をめぐる不思議』2001年中公文庫など参照。
何が言いたいのか?つまり、アラ(仮名)の性別は、「わかるわけねーだろ!!」なのである。
秋の一番仔どころか、夫婦にとっての一番仔なので、100%オスとは言えないまでも、80%くらいオスと言えるか?と尋ねられ、「然り」と言えるまともな人間はいないと思う。では、60%の確率でオスだといった特異な性比が統計上わかったと仮定しても、40%も例外のあることなど、私の文鳥ライフに何の意味があるとは思えない。
オスが欲しいから一番仔、メスが欲しければ春仔、そんなもの信じて繁殖計画など立てられるわけがあるまい!寝ぼけてるのか!!と、甚だ失礼ながら、思ってしまうのだが、反論できる要素があるだろうか?
・・・「鳥キチ」の中の経験則も、「鳥マニア」(「鳥ヲタ」の方が良かったかな。お宅で文鳥と遊んでいる私個人は「文鳥オタク」に相違ないが)のオフ会(「主婦」の井戸端会議)での合意事項も、客観的に検証せずに一般論とされては、迷惑となるだけになってしまう。気をつけたいものである。
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