孵化4日目
手乗り文鳥は繁殖(巣引き)が下手という説は、間違いである。
著者の個人的思い込みが濃厚な昔の飼育書などはひどいもので、「手のりブンチョウを「巣引き」させたいと思ったら」「三ヶ月間、ずっと鳥カゴに入れっ放しにして」「あまり人間に慣れなく」させるなどと書いてあったりするが、とんでもない話だ。
飼い主に親しみがあればあるほど、その近くで落ち着いて繁殖できるのである。おかげで、私も、私が育てた両親が留守の隙に、カゴの中にデジカメを入れて、巣の中を撮影できるわけだ。
我が家の文鳥たちの親は、一、二の例外を除けば、少なくとも片親は手乗りだ。繁殖が上手な文鳥が多いが、そもそも大昔から飼育下で繁殖を続けているのだから、先天的に繁殖上手が多いのは当たり前であろう。現在の普通の家庭における文鳥の繁殖での問題があるとすれば、1羽飼育の場合、相手を自分と同種の仲間と認識できない点だけであり、それを解決するのに、「見合いをする」とか「相手を取り替える」などナンセンスとしか言いようがない。相手が問題なのではなく、自分の文鳥が問題であり、それは取り替えられるはずがないのだ。
昔の飼育書は、私に言わせれば、「手のり鳥マニア」ではなく、「鳥キチ」が書いていることが多い。「鳥キチ」とは、伝統的な飼い鳥文化を引き継いでいる人たちで、「見鳥(みどり)」つまり、鑑賞目的で鳥を飼育し、繁殖にしても、「芸物(芸鳥ともいう)」として見かけの変わった個体を生み出すのを目的とした好事家の要素が強い存在だろう。この人たちは、多数飼育を必然としているので、家庭内の居間で手乗り文鳥を飼育するのとは異なる飼育方法となる。
一方「鳥マニア」は、手乗りにして一緒に生活する意識が強く、つまり、鳥をペットやコンパニオンアニマルとして位置づけているはずだ。鑑賞は主目的にならず、個別に愛情を注ぎ、変種を生み出すという発想をほとんど持たないので、「鳥キチ」の飼育法はほとんど参考になりえない。
「鳥マニア」と「鳥キチ」は、基本的に異なるのである。この新旧の違いを認識しないと、昔の飼育書の真似をして失敗したり、無理解な近頃のマニアの行動に悩まされることにもなる。
善良な人ほど、同じ『鳥好き』の括りで仲良くすべきだ、と安易に考えてしまい、かえって溝を深めることになってしまうものと、昔から見なしている。しかし、安易に同じだと信じても、相手を理解して尊重することにはならないだろう。『鳥好き』にも、いろいろあり得ることを認識したいところだ。
例えば飼鳥団体は、本質的には「鳥キチ」の親睦会だと私は思っているが、そこに「鳥マニア」が、特定のネット社会のオフ会気分で入り込んでいくと、いろいろ軋轢が生じるはずである。違いを認識しないから、「同じ『鳥好き』なのになぜ理解しないのか!」と苛立ちばかり感じるのではなかろうか。
昔の飼育書を読むたびに、そういった感慨を繰り返すのだが、「鳥キチ」に変わるだろう「鳥マニア」は、個別の小集団化はたやすくとも、大集団にはなりにくいだろうとは思う。
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