仲直りしたらしいエコとテン
昼間、テンが巣ごもりし、エコを追い払っていた。どうやら、久しぶりに抱卵を始めた際に、父キュー様の超イクメン(育児する男)の血が騒ぎ、卵を産んでくれたエコが邪魔者に見えてしまったらしい。まったく、変なところで似ているから・・・。
さて、ネットの古本屋で本をあさっていたら、鷲尾絖一郎著『ブンチョウの飼い方ふやし方』(新星出版社1989年)を見つけたので、ついでに取り寄せて、今日届いたので読んでいる。十数年前に、図書館で借りて読んでコメントを書いたが(コチラ)、手元にないので、その後見直すことができなかったのだ。
・・・途中までだが、確かに現在真似されては困るが、昔から文鳥を飼育している「ルーズな昔」を知る人には興味深い内容だと思う。「昭和な写真」満載ながら、土屋書店で版を重ねている文鳥の飼育本の著者、大久保巨さんとは、江戸時代の大久保巨川に因んだ鷲尾さんのペンネームのはずだが、あの本より、文章が多く、それだけに鷲尾さんの考え方が露骨な内容となっており、それが情熱的思い込みを含み少々アブノーマルに思えるところが、面白い。
この中で、鷲尾さんは、桜文鳥を野生文鳥から「白化現象(アルビノ)を利用して作られた鳥」とし、「この白いさし毛の多い鳥同士から、白ブンチョウが誕生します」とされている。このような、桜→白とする説の一方で、突然変異で生じた白文鳥と野生文鳥(野生と同じ色合いの文鳥)が交配することで、桜文鳥が発生したとする説、つまり、白→桜がある。
私は、白→桜は実証できるが、桜→白は実証出来ないので、白→桜と考えている。桜→白説を唱える人は、白い差毛がとても多い、ごま塩柄の文鳥を桜文鳥としてしまうが、この文鳥はいわゆる中間雑種で、遺伝的に、本来の桜文鳥とは別と考えねばならない。白文鳥がいてはじめて出現するのが、ごま塩文鳥であり、今日の写真のような純然たる桜文鳥同士から徐々にごま塩文鳥を作り出し、白文鳥になった、という例は、寡聞にして聞かないのである。
しかしながら、野生文鳥にも部分白化は起こり得る。ブログ『ララビスのために』さんが、昨年ご紹介されていて(コチラ)知ったのだが、江戸時代末期(1840年頃)の『鳩小禽等図』に「替文鳥」として描かれている文鳥は、目の上が部分白化している。
しかし、これは桜文鳥とは呼べないだろう。鷲尾さんは、白と桜の中間雑種で変わった色分けが生じた姿の文鳥を「パイドブンチョウ」と呼び、「このような色がわりのブンチョウに、名前をつけて珍鳥とするのもおもしろいでしょう」と書いているが、これは、良くも悪くも日本の伝統的な『好事家根性』を示していると思える。つまり、飼育する動物に、偶然の突然変異で変わった姿の者が生まれると、「変わり物」とか「芸物」などと呼んで珍重するが、また違った個体が出現する方に関心が行ってしまい、その変異種の固定化をほとんど行わないので、ほとんどは一代限りで終わってしまうのである。
結果、「替文鳥」が出現しても、「変わってる~!おもしろ~い!!すご~い!!!」と、ごく一部の同好の好事家が喜ぶだけで、『ララビスのために』さんが紹介されているように、山本亡羊が1848年に「其他種種色変リアレドモ却テ観賞ナラズ」とするように、一般化することはないのである。
おかげで、グロテスクな品種改良も行われず、原型を保てるとも言えるので、悪いとばかりは言えないが、そういった性向、あくまでも珍奇なものを追い求める『好事家根性』の人たちが、桜文鳥を固定化しそこから徐々に白文鳥を生み出しそれを固定化させるなど、出来るはずがない、と私は断定する。品種改良に必要な、固定化、という発想に欠けているのである。
植物のように育てば何十年も親木として残るなら、珍品の品種も残っていきやすいが、動物では固定化の意思を持たなければそれは難しく、その点、今でも、牧畜が盛んで品種改良の伝統を持つ西洋の後塵を拝することになるのだと思う。
ただ、部分白化文鳥の形質が明治になっても残り、弥富で発生した白文鳥と交雑することで、また別の白文鳥の系統になった可能性は否定できない。現在、白文鳥同士でも桜文鳥が生まれる弥富系の白文鳥と、白文鳥同士からは白文鳥しか生まれない台湾など系統の白文鳥が存在するので、特に台湾系統の出現と固定の過程を、よくよく考える必要があるように思える。・・・ただ、ごちゃごちゃ混ざってしまって、すでに遺伝子レベルで解析したところで(誰もやらないと思うが)、何だかわけがわからないだろうな、とは思う。
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