フラッシュに反射するタネ
千葉市動物公園への批判が、インターネットだけで、「沈静するのも遠くはな」ければ、それはそれで個人的には構わないが、情熱的なインコ愛好者が、だんまりスルーを見逃すだろうか?対応を誤ると、やっかいなことになるし、すでに誤っている気がする。
例えば、動物園のツィッターに、29日「ベニコンゴウインコの件につきまして、みなさまからのご意見ご批判、真摯に受け止めております。飼育係一人一人が十分に注意し、このようなミスを二度と起こさないよう気をつけてまいります。(飼育課職員一同)」とツィートしたのは適切だが、その翌日から何事もなかったように、ツィートを続けてしまっているのは、火に油を注ぐことになってしまっていないだろうか?ツィートだけでも一週間くらい控えて、とりあえず、喪に服する態度を示し、射殺現場に小さな追悼碑なり慰霊碑なりを設置することにして、「真摯に受け止めて」いることをアピールすべきだったように思える。
自分たちの引き起こした行為に対する反感に、説明を怠ってしまうと、鎮静どころか、嫌悪され、さらには憎悪が募って、収拾がつかないことにもなりがちなので、墓穴を掘らないように、十分配慮した方が良いかと思う。
失敗した際の動物園の対応としては、北海道旭川市の旭山動物園が、参考になるように思う。
千葉市動物公園と旭山動物園には、意外な接点があった。千葉市側の人気者、レッサーパンダの風太くんの立ち姿が、ずいぶん話題になった折、北海道の旭山動物園の園長(当時は副園長)さんが、動物園公認のブログにおいて、少々感情的な批判をしてしまい、物議を醸したらしいのだ(今日まで、私は知らなかった)。
そのブログで「ゲンちゃん」の反省文を一読したが、これは名文であった。同ブログには、昨年のフラミンゴを迷子にしてしまった件の記載も、マスコミの報道よりもわかりやすく説明されていて、いろいろ得心した。以下に、私が特に感心した箇所を抜粋しておくが、千葉市動物公園の引き起こした、今回の事件についても、いろいろ示唆的かと思う。
「そこにどんなすばらしい命が存在していて,それらがとても尊く愛おしいものであるかをどこかで伝え続けなければならないと思います。それが動物園の大きな役割なのだと信じています。動物園は「見せ物」ではないはずです」
「生き物を飼育する旭山動物園は、飼育している生き物は最後まで飼育しなければいけないと考えています。外来種として問題となっているアライグマも、在来種との交雑が問題となっている外国産クワガタムシも、さらには毎年多くのイヌやネコが安楽死されている現状も元々は飼育放棄が原因です。旭山動物園としては、飼育下に戻す可能性のある限り、捕獲に向け努力を継続していきたいと考えています」
旭山動物園も千葉市動物公園も、ともに捕獲に失敗し、その失敗には死を伴ったが、その背景にある理念には、その施設の規模以上に、大きな開きがあるように思えてならない。旭山のように、生態を熟知し環境に合わせ方策を練ったものの成功せず、万策尽きての失敗なら、過程を説明すれば、理解する人も多いはずだ。しかし、無知による、無策、無謀による射殺の場合、どうように事後説明すれば良いだろうか?生命を尊重し、その素晴らしさを伝えるべき動物園が、あろうことか、射殺現場の映像という見世物を、テレビカメラに提供するなど、何をどのように言い訳できるだろうか?
それでも過ぎたことは元に戻らず、沈黙を守れば、失った信頼が回復しないばかりか、不審感を深めてしまう危険性がある。それならば、無知・無策・無謀を認識し、しっかり反省している態度を鮮明にして、規模が小さくとも、各飼育動物の生態を熟知して対応していると、どのような事態であっても胸を張って説明できる動物園を、目指している姿勢を、早急に示すべきだと、私は思う。
ま、もっとも、文鳥は飼育されていないので、隣県の千葉にも、遠い旭山にも、行く機会はないだろうけれど。
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