したが後悔しないで納得


よく食べる

 しないで後悔するよりも、して後悔した方がましだ。が、それは自分で考え判断して自分で行動できる人間自身の場合である。
 文鳥は今現在の生活が続くことに幸せを感じている。なぜなら、他の生活を知らないからである。それを愚かと笑うなかれ。人でさえ、どのような場所でも、生まれ育った土地に愛着を持つはずで、実際に、先祖から代々の土地を離れようとしないことも多いではないか?他の生活を試して比べることのできる人間さえ、保守的な誘惑には抗えない(基本的に生き物として当然である)。
 文鳥が病気になった場合、獣医さんに診せれば後悔しない、などと考えるのは、少々考えが浅いだろう。実際には、文鳥の日常生活を奪い(療養には独居が必須となってしまう)、見ず知らずの生き物(獣医さん)に弄りまわらせる恐怖を与え、わけのわからない病気の小鳥にまずい薬を強い・・・、そうまでして、文鳥のためと通院し続けた結果死なれてしまえば、誰が後悔せずに済むだろう。否、文鳥のために心を鬼にしたと自分を慰められるうちは、それでも良い。それで回復する経験をするなら、それは幸運だ。しかし、経験をたび重ねれば悲運もあり、一体誰のための通院なのか、飼い主である自分を納得させたいだけのために、飼い主が後悔しないためだけに、文鳥の終末へ続く日常を奪ってしまったのではないかと、後悔するようにもなっても、とくに不思議はあるまい。

 せっかく夫婦仲良く助け合っているのに、その邪魔などすれば、私は後悔で臍を噛むことになる。「また、自己満足に走った」と思えてしまうのである。生かす努力はした。通院した。切開手術した。仲の良い夫婦を別居させ療養させた。投薬した。そして、予後不良で亡くなった。それでも自分が努力したと納得できるなら、どれほど気楽か知れたものではない。
 セツちゃんは、おそらく胆のう腫だろう。体が膨れて衰弱しても食欲があり、食べに食べるが下痢症状があり血色が薄くなっていく。明日生きているかも疑わしい。最愛の夫デッカの近くで臨終するが良い。

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