見返りイッツ
サーフボード体型
サザンオールスターズの新曲『ピースとハイライト』の歌詞について、日韓の歴史問題に絡めて、保守的な思考の人から批判があるらしい。逆に平和主義?的な人からは礼賛されているとも言う。
「ただの歌詞じゃねえか、こんなもの」に、無粋なことだ。それでもあえて言うなら、「ミュージシャン」としては、そういった「ピース」な歌詞をたまに唄うのが「お約束」なだけで、ジョン・レノンにしても、忌野清志郎にしても、桑田佳祐さんにしても、大した意味など認める必要はないのである。
それでもせっかくなので、気になった歌詞。「教科書は現代史をやる前に時間切れ」「そこが一番知りたいのに、何でそうなっちゃうの?」・・・お答えしましょう。コマ、授業時間数が、足りないだけ。「何が何でも現代史までやるのだ~!」と、高校の先生が決意した場合、中抜きに1章まるごとすっとばすような反則技を繰り出さないなら、1回の授業での進行割合を綿密に計画し、出来れば一回の授業で進むべき量をプリントにしてしまい、生徒が何をどうしようと、その1枚のノルマをこなし続けるしかない。
では、現代史の授業数を増やせば解決するかと言えば、そうとも言えない。何しろ、教科書や教師の質に左右されるので、すべての生徒が同じように歴史を知ったことにはならないのである。ガッコのセンセーに、そのセンセーの手垢のついたチープな歴史解釈など教えてもらっても、そんなもの、その教師個人か、その国家体制の誘導によるひとつの解釈に過ぎないはずで、それが公正中立なものとは限らない(そもそも、歴史解釈なり歴史観の公正中立など、幻想に等しい。公正中立であるべきだと教師は意識すべきだと思うが、独善的な教師が多いのも現実)。
そのような歴史教育の難しさ、危うさは万国共通なので、国による歴史認識の『民度』の相違は、その国に、個人の意思で学び取るだけの環境があるか無いかに現れてくる。その点、日本は幸い新書のような手軽な本だけでも、現代史について左から右までいろいろ図書館に並んでいるはずなので、関心があって知りたいなら、いろいろ読めば良いだけである。教えてもらうのではなく、勝手に学べ。
なぜ、このような話になっているのか・・・。
イッツがサーフィンボード体型だ、と思ったからだ。サーフィン、砂まじり、桑田さん、と、ごく自然に脳内の関心が切り替わった・・・。
そう言えば、イッツの体型は不思議だ。元々こうではなかったのに、何でこうなってしまったのだろう?・・・まあ、これも深く考えないほうが良さそうだ。
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