老いても誇り高き賢鳥

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バリアフリーなキュー様

 朝、エサを交換していると、キュー様が上段のツボ巣からこちらを見下ろされている。エサを食べに下に降りたいが、何となく今日に限って降りられずにいるらしい。しかし、手を入れると拒否する。「ツンデレ」ならまだしも、こうしたタイプの『男』は、デレないから困るのである。
 女性にもいるだろうが、特に男性には、自我が強く、孤高を尊び、他人の世話になるのを潔しとせず、それが必要になっても、甘えとして忌み嫌う人が、結構いる。こうした人が、病気で入院などすると、優しい看護師さんによる幼稚園児同然の扱いに、自尊心を傷つけられることになる。あれは、マクドナルドのアルバイト店員の「スマイル」同様、若い人が習い覚えただけの等し並の扱いに過ぎないのだから、「ハイハイ」と愛想笑いでもして、テキトーに甘えておけば良いはずだが、それをしてしまうと、強烈な後悔に襲われることになるようだ。それは、自分の生き方に対する裏切り行為で、精神的な自傷行為以外ではないわけだ。
 こうしたワイルドシングな、突っ張ったタイプだった者が、年をとって円満に丸くなったなどと評される時は、若い頃の態度の方が、格好つけだけだったか、惚けたかのいずれかに過ぎない。そういう『男』は、意識がしっかりしている限り、どこまでも「ツンツン」でなければ生きられないはずなのだ。従って、それと付き合わなければならない場合、適当にそれに合わせてやるしかない。男気などというのは、取り扱い注意で、面倒なのである。
 「【キリン】も老いては駑馬に劣る」のは、運動能力だけで、駿馬は駿馬としての記憶と誇りを、老いても持っているどころか、さらに意固地に凝り固まって表に出てくるわけで、まさに、それこそが、今のキュー様なのである(断言)。人も文鳥も同じというわけだ。もともと人間臭い文鳥であるキュー様は、その老いの行動も人間と同じで、せっかち、だ。飛べる頃と同じ気持ちで、目的地を見てそこに直接行こうとして、落下する。回り道をすれば安全に行けるのに、若い頃同様に道を横断しようとする人間の年寄りそのものである。
 ・・・賢かったキュー様だが、賢く老いるのは難しいようだ。

 一方、若すぎるくらいに若いソウとテイ。35℃を軽く超える猛暑に、開口呼吸となる文鳥も現れる中、元気にブンブン飛び回り、飼い主が止まって欲しくない場所に行き着いてしまった。居つかないように気を付けないと・・・。

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禁断の地を「発見」した両羽
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撮影後の「打ち払い」を察したのか、「トンヅラ」した。

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