千歳忘れじ文鳥香

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この中では、ミョーだけが魅惑の文鳥香を漂わせていたが、今は無臭

 真夏だというのに、トミが5個産卵していた。例によって、抱卵する気配が現れて初めて気づくほどの安産。喜ぶべきか、困ったものである。

 さて、ぶんちょアイス。
 お店によれば、「フィンチのまるまるフカフカ感をアイスで表現!文鳥風味のフィンチイメージアイス・・・あわ・ひえ・きびなどの雑穀+マシュマロ」だそうです。
 「まるまるフカフカ感」をマシュマロで表現し、あとは、雑穀を食べて文鳥の気分になりましょう、と言いたいのでしょうから、あの香りを再現したわけではないです。そもそも、インコ類の体臭とはまったく別物の(といっても私はインコ臭をよくは知らない)「文鳥フレグランス」は、お店の人たちは、残念ながら知らないのではないかと思います。
 アイスについては、こういった理屈をこねずに、すぐに忘れるその場のノリで、何となく「文鳥仕立て~!」と思い込んで食べるべきものでしょうね。

 それで、文鳥フレグランス。
 これは、おそらく江戸時代の日本人が、何の関係もない植物に『文鳥香』と名づけてしまうほど、一度体験したら忘れられない良い香りだ。しかし、とても遺憾なことに、ほとんど数日の期間限定で、それも予測不能なため、多くの飼い主には幻の存在となってしまう。もし、すべての文鳥が、常時、あの香りを漂わせるなら、手乗り文鳥人気は世界を席巻したに相違ないのであります!
 体質によるのか、その香りを発散させる文鳥とそうでない文鳥がおり、それも何時その香りがするか予測不能、さらに体に鼻を近づけないと感知できない微香、確かにこれでは幻と思われても不思議はないかもしれない。よほど運が良い場合を除けば、かなりの数の文鳥と接する機会があり、それもかなりフレンドリーで濃密な関係でなければ体験できないわけだ。・・・ここまでしつこく言われたら、文鳥マニアのくせに(煽ってます)、文鳥フレグランス未体験の人たちは、さぞ、うらやましく思うだろうなぁ。

 そう言えば、確か、文鳥の香りは千年たっても忘れないといった俳句を教えてもらったことがあったような・・・。
 ネットで調べたら、「文鳥は春の和菓子の匂ひして千年昔も我を許しぬ」(詠み人知らず)と覚えておられた人がいらっしゃった。記憶違いの可能性もありそうだが、こういった感じだった気がする。ただ、この場合、下の句の意味が良くわからない。千年前から私を許すに違いない、と解釈するなら、「許しぬ」ではなく「癒しぬ」の方が意味が通る。むしろ、「想わぬ」にしては・・・。
 細部はともあれ、春の和菓子、総じて日向の布団のやわらかい感じと表現する人と共通するので、これは確かに「文鳥フレグランス」を体験している人の詠嘆に相違ない。文鳥マニアなら誰しも、この春の和菓子をご体験いただきたいものである。

 

【蛇足】
 元の俳句を探していたら、俳人飯田龍太の「冬深し手に乗る禽の夢を見て」(昭和46年)との一句を見かけた。さすが玄人と感心した。
 「禽」は禽獣の「きん」だが、ここは「とり」と読むべきだろう。解釈はいろいろあり得るわけだが、私なら、この鳥は手乗り文鳥で、いわゆる「握り文鳥」以外には有り得ず、手がかじかむ寒中に家路を急ぐ飼い主の心情を詠んだもの、となる。早く手に文鳥の温もりを感じたいという飼い主側の気持ちと、いつも暖を求めて飼い主の手の平でまどろむあの小さな生き物が、どのような夢を見ていることか、といった連想を織り込んでいると思うのである。
 「冬に暖かさを求める手、その手に温もりを感じる文鳥、どういった夢を見ているのかな」これも、文鳥のコアでディープな世界を理解しなければ、わからないかと思う。

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