赤山陣屋の石祠

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真っ黒な尾羽に戻ったトミ

 先日、木曽呂の富士塚に行ったので、今日は、赤山陣屋前の神社(山王日枝神社)に行ってみた。ここは、赤山城とも呼ばれ、江戸時代に関東代官伊奈氏の本拠地だった場所だ。
 新田次郎の小説『怒る富士』では、宝永4年(1707年)の富士山大噴火の際に、被災地救援に活躍した伊奈半左衛門忠順の姿が描かれており、半左衛門はこの神社に石碑を奉納する際に、噴火に気づいたことになっている。富士山つながりの連想で、その石碑が見たくなったのだ。
 園芸屋さんの脇道を入ったところが神社であった。その道をさらに少し行くと、赤山城跡の公園だが、なかなか趣のある堀跡をチラッと見ただけで深入りせず、小説にある石祠(せきし・いしほこら)を確認する。正面に八幡宮とある。つまり、この石自体がお社なのである。裏に半左衛門の願文が刻まれていて、今でもずいぶんとはっきり読めるので、元々は石祠を覆う建物があって、風雨を防いでいたのかもしれない。
 宝永4年11月に「子孫繁栄」を祈って建立したとある。その11月23日に富士山は噴火しており、確かに、少々因縁めいている。
 それにして、伊奈さんの家が、願文のとおりその後も代々この地に続けば(18世紀末に改易されてしまう)、このあたりも、もっと賑やかだったかもしれない。今後、火葬場を含む大規模な公園整備が行われ、また違った姿になっていくはず・・・。開発も良し悪しだが、個人的には、変化に期待したい。

 それで、我が家の13代目のトミの尾羽だ。先端だけ白かったので、「富士山尾っぽ」と呼んで喜んでいたのだが、いつの間にやら、普通の真っ黒尾羽に変わってしまった。残念である。

 川口市赤山山王神社
赤山日枝神社(石祠は左)
伊奈半左衛門忠順no

伊奈半左衛門忠順の石祠

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