カラス対策の今昔~綱吉未満の動物愛護行政~【後編】

 この現代のカラス公害に対する行政側の動向を見ていると、徳川綱吉の「生類憐みの令」が思い出され、それが素晴らしいものだったことが鮮明になってきます。本来的には、野生動物を狩猟するための法律である「鳥獣保護法」(正式名称は『鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律』、前身は『狩猟法』で、乱獲を禁止する目的で保護が必要になり、さらに自然環境保護の一端としての野生動物保護の観点が付け加えられるなどして、今日に至っている)の矛盾を放置したまま(狩猟対象の野生動物に対してすら、保護対象として手出ししてはならないような誤解が蔓延する。特別な保護種と指定されていないので、敷地内の私有財産を傷つける「自然物」に過ぎず、どのように扱ったところで、処罰対象になり得ない可能性が大きい)、そのような法律に縛られてしまうだけで、十分な対応を怠る現在の行政より、よほど合理的な対応をしていたのです。
 以前は、犬公方として愚かな将軍のように評価されることの多かった徳川綱吉ですが、近年ではその功績が学会でも見直され、教科書の記述も肯定的な評価に変化しているようです。それは当然で、悪名高かった「生類憐みの令」にしても、その内容を見る限り、時代を先取りしすぎた合理的な動物愛護精神の持ち主としか言いようがない内容なのです。おそらく、綱吉の発想が合理的にすぎて、かえって趣旨が理解できない当時の小役人の厳しい運用により、当時の庶民生活に多大な迷惑を及ぼす悪法になってしまった面もあったでしょうが、近現代の悪評の元を検討すると、ほとんどが誤解に基づいています。例えば、「生類憐みの令」に含まれるカラスの巣に関する規定もその一例です。
 まずは、『徳川実紀』(以下略して『実紀』)元禄3年(1690年)3月16日条の、勘定奉行配下の代官たちに対する命令を見てみましょう。
 「(道路や人里の樹木に)鳶烏巣かけざるやうしばしば見廻り、もし巣かくるもあらば其巣をとりすつべし。おそく見つけ卵うみし巣をこぼち、卵いたまんはいかがなり。【略】鳶烏の巣に事よせて。其他の諸鳥の雛など。卑賎の小児等巣より取すつる事も有べければ。此等は心いれて告諭し、鳶烏の巣の外。一切こぼつべからずとなり」
 ※活字では「鳥」ですが、私が勝手に「烏」と置き換えています。なぜなら、トビを「トビトリ」と表現するのは、奇妙ですし、そもそもトビとカラスは、抗争を繰り広げる姿がしばしば目撃されるように(告白しますが、私は高校時代に授業中にそういった様子を観察していました)、人里近くの生活空間を共有しており、しばしば人間を襲って迷惑となる点も同じですから、トビとカラスが並置されるのが、ごく自然に思われるからです。また、以下の法令の内容は、トビよりむしろ現在のカラス公害と重なり、『実紀』に「鳥」とあるのは、活字化する際に「烏」を誤写したものと見なすべきだと思います。
 もし、綱吉が、世間一般に信じられていたような、人命よりも他の生き物の生命を優先する異常な動物愛護精神の持ち主であれば、「巣に触んな!」「つつかれても文句言うな!」「反撃するな!愚民ども!」といった調子で命じているはずです。ところが実際は違っています。おそらく、今現在、都市部でカラスが問題となるように、当時も、街道筋の並木などに営巣し、旅人に害を及ぼす迷惑行為が問題となっていたはずです。江戸時代ですから、人間が一方的にやられるばかりでなく、反撃してカラス側が悲劇的結果になることも多かったのでしょう。そういった殺伐とした行為を嫌った綱吉は、管轄の役人が頻繁に巡回して営巣を確認し、卵を産まないうちに、巣を壊してしまえと命令しているのです。これは、人間の生活など気にしない、盲目的動物愛護(例えばクジラを守るためには人殺しを辞さないようなもの)ではなく、人間の生活と野生動物の営みを考え、両者のバランスをとりつつ動物愛護を実現しようといった、実に健全な発想からの命令と考えられます。
 しかし、綱吉の事跡の中には、鳥よりも人間を軽視した盲目的動物愛護を示す例があると、反論されるかもしれません。そして、その事例として、「元禄元年(1688年)10月3日に烏が巣を作った木を切り、武蔵国新羽村の村民が処罰される」と、ウィキペディアの『生類憐れみの令』項が説明している事件が挙げられるものと思います。ところが、この事件も、『実紀』で確認すると、印象がかなり異なってくるのです。
 「武州新羽村西方寺寺領の宮山の樹林を伐しに、鴻の巣かけし木をきらしめしは釈徒慈済の意にそむけりとて、閉門せしめらる。これに座して近村の民も罪蒙る者あり」
 とあります。つまり、直接的に罰せられたのは、伐採を命じた西方寺で、それも理由は、殺生禁断であるべき境内において、それを行なったと見なされたからです。確かに村民も罪過に問われていますが、あくまでも「これに座して」です。おそらく、寺から依頼され実際に木を切り倒した村民が、名主などを通じて叱りおかれた程度の話でしょう。つまり、将軍の異常な動物愛護精神による異常な罪過ではなく、仏教の殺生禁断の原則をその境内で踏み外したことへの、信仰心の厚い将軍の常識的と言える範囲の対応に過ぎないわけです。
 この西方寺は、現在、横浜市港北区の新羽に所在する真言宗西方寺のことかと思われますが、そのサイトを見る限り、幕府の直轄領に所在し、その庇護を受ける古刹だったようですから、綱吉の感覚では自分の領地内の出来事、身内の不祥事に思えたはずです。つまり、普通の庶民が裏山の木を伐ったら、たまたま鳥の巣があっただけなのに、ひどく処罰された、といった類の話とはまったく性格を異にしており、「生類憐みの令」が庶民に対して過酷なものであった実例とは見なし得ません。
 カラスの巣についての元禄元年同様の命令は、その後も同4年と8年に確認されます。『実紀』元禄8年2月21日条は次のような内容です。
 「武家宅地あるいは寺社境内に鳶烏巣をかければ、すみやかにとり捨て、巣かけしむべからず。もし卵かへらば、其ままになしをくべし。近郊の農地も是にかはらず。但し雛はそのままにしをき、鳥見へつげて指揮にまかせ、他へうつさしむべし。但し府内愛宕山の境内は巣拂ふべからずとなり」
 綱吉という人は、やたらと細かく、確かに偏執的に感じられないでもありませんが、あくまでも合理的です。大雑把にすべての者が、一律に同様の対処をするようには求めず、理詰めで、それぞれの立場で必要な対応を一々考え区別して指示していたのが、よくわかります。この場合、将軍の所在する江戸城の近く、将軍家とも深いゆかりのある愛宕神社の境内では、一切巣に触れてはならないとし、配下の武家、旗本たちの宅地やおそらく直轄領内の寺社境内は、巣は取り捨て、ヒナがいれば放置、直轄領である江戸近郊の農地では、巣は取り捨て、ヒナがいる場合、将軍の鷹狩場などを管理する鳥見役に申し出て巣を移動させる、と、対応を3つに分けています。
 巣を移動したら、親鳥は育てなくなる可能性が高いので、結果的にヒナは死んでしまうと思われます。その辺りは、所詮は観念的な命令と非難されそうですが(鳥見役から鷹匠に渡され餌にされてしまったのではないかと・・・)、ともあれ、普通の農民たちが、野鳥のヒナを直接に殺さずに済むことは確かで、綱吉が中央官庁、鳥見役が市役所など自治体、農民は市民と当てはめると、市民にとって、綱吉がいかに親切だったかわかります。もし、市民が敷地内にカラスの巣を発見したら、ヒナがいなければ速やかに撤去、ヒナがいたら自治体に報告し自治体の責任で対処する、これは、実にわかりやすく真っ当な対処ではないでしょうか?少なくとも、自治体には捕獲許可を出して住民に処分させたら良い、と放り出してしまう現在の状態より、市民が動物愛護には結びつかない、殺処分の実行者になるのを避けることができます。

 「動物愛護法」(正式名称は『動物の愛護及び管理に関する法律』)には、「動物の虐待の防止、動物の適正な取扱いその他動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する」とあります。所轄官庁は、「鳥獣保護法」同様に環境省です。つまり、草加市のカラス公害をめぐるやりとりだけで、環境省を評するなら、ペットとして飼養する生き物を愛護することで、生命を尊重する社会をつくるとする一方で、野生動物の駆除・殺処分は住民が適当に行えと示唆する、矛盾した行政組織ということになってしまいます。この点では、草加市の特区申請にしても、それは結局、カラス駆除を住民に押し付けるだけですから、動物愛護の観点を欠いていたと見なされてしまうと思われます。結果的に、行政が責任を負うのを避けていることになるのです。
 やはり、300年前の偉大な徳川綱吉の政策を見倣って、少なくともヒナの段階に達すれば、自治体が処分するのを原則とし、そのための法整備や体制の構築のために、環境省は努力すべきでしょう。保護しろ愛護しろと建前を並べ、被害が出れば、自治体が適当に解釈して住民が勝手に殺処分させれば良い、では、無責任どころか、不備な個々の法律上のつじつま合わせばかりで、動物の保護や愛護という大目標に向けた論理的整合性を欠いてしまい、上様(徳川綱吉)に申し訳が立たないと思います。
 実際に人に被害を与えている野生動物がいるなら、すぐに殺処分するのも、社会を守る上で必要になるでしょう。しかし、「国民の間に動物を愛護する気風を招来」する大目的があるなら、その不幸な野生動物が生じた原因を考え、同じことが起きないように、行政の責任として対処していくしかないはずです。カラスの数が増え、都市公害になってしまっているからと言って、市民が自由に殺処分できるようにお墨付きを与えてしまえば、玄関先にカラスの逆さずり死体の並ぶ、殺伐とした『特区』が出来上がってしまうかもしれないではありませんか?むしろ、なぜカラスが増えるのか、その原因を考えて対処していくのが、綱吉でも真似の出来ない現代的でスマートな行政になるはずです。生ゴミがカラスのエサにならないようにするためには、どのようにしたら良いのか、市街地に営巣させないためにはどうしたら良いのか、それを科学的に検討し、対策を立てることこそ、中央地方の区別なく、現代の行政に必要とされていると信じています。今後に期待したいところです。

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