軽々しいキミョー
数年前に買って放っておいた、講談社現代新書『将軍と側用人の政治』、読んだら面白かった。著者の故大石慎三郎先生は日本近現代史の大家だが、それまで負の側面ばかり強調されていた徳川綱吉や田沼意次を、肯定的に評価する視点を強調され、この時代の歴史観を見直すのに、大いに力のあった方だ。
17、18世紀は、飼い鳥としての文鳥が、日本に根付いた時期だ。何のかかわり合いもなさそうだが、実はさにあらずで、この本でも鈴木晴信を後援した人物として出てくる旗本大久保忠舒は、城西山人巨川の名で知られる文化人で、飼い鳥の飼育本(1773年『百千鳥』)まで書いており、その中には、文鳥の項目もある(現代の「大久保巨」氏は、巨川にあやかったペンネームだと私は思っているのだが、そんなこと気づく人がいるのかどうか・・・)。
巨川も、田沼意次の時代の比較的に自由な社会で活躍したわけだが、その文化人集団は、いろいろなジャンルにネットワークを持っていたようだ。その様子を、蘭学を中心にこだわって描いているのが、昨年夏から、他人からもらって読み始めたみなもと太郎氏の『風雲児たち』という漫画で、ここにも「困ったちゃん」の鈴木晴信がかなり登場している。
そして、その漫画にも出てくる、絵が上手な佐竹の殿様(秋田藩主佐竹義敦・曙山)は、文鳥を画題にした絵を描いているので、文鳥愛好者には知る人も多いはずだ。この絵画については、最近、今橋理子氏の論文(1993年『学習院大学文学部研究年報39』所載「小田野直武筆「松に椿図」から佐竹曙山へ」)をインターネットでたまたま見かけて拝見したので、興味のある人はググッて頂ければと思う(PDFなのでリンクしないでおく)。
そして、小野照崎神社の文鳥図柄の絵馬や、亀戸天神のウソが嘘で本当は文鳥だったりする縁起物類の存在・・・。さらに、「文鳥香」などという、一般の人には意味不明の名前を持つ植物まで存在する(「江戸時代より伝わる古典的品種」)。
他人に説明するのは難しいが、江戸の町に文鳥好きの系譜が脈々と流れていて、当時の文化人の中には、おそろしくコアなマニアがいて、周囲に宣伝しまくっていた気配を感じるのだ。文鳥の匂いに気づくなど、手乗りにしていなければ有り得ないだろう。ただ者ではあるまい。
かくして、文鳥のおかげで、毛嫌いしていた江戸時代に(私は中世が好き)、かなり関心を持つようになったのであった。
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