このように見ていくと、手塚ファンでもアニメファンでも、どちらにもさほど興味がない者であってすら、日本でテレビを見るなり漫画を読んで育った我々には、放射能に対する間違った先入観、放射線は形態変容を引き起こし、人間なら奇形が生まれる、を持ってしまっている可能性があると、疑った方が無難だと思われます。放射能と書いていないにもかかわらず、それだと無意識に置き換えてしまうのです。
もし、そのような先入観としての「手塚治虫」を認識していないと、幼児的小児的に無批判なままに染み込んでしまったそれに、今現在の判断が左右されることにもなりかねません。さらに、その無知を自覚せず、他人に対して無責任で無恥であれば、我田引水の確証バイアスに陥り、かえって自分の思い込みを裏付ける証拠ばかりを選択的に集めて悦に入るようにもなってしまうのではないでしょうか?そうした事例は、何度も現地に行っても、ついにはチェルノブイリ事故との相違も理解できなかったらしい池谷氏にとどまらず、ネット上にも散見されるところかと思います。
なお、先の原発事故では、それまで原発のことも放射能のことも考えたことがなかった人に限って、突然に深刻顔で見当はずれや行き過ぎたことを言い始め、矛盾を指摘されれば、推進派だとか原子力ムラだとか、幼児の単純な二元論を振り回し、挙句は、故人についてまで、原発推進派か反対派かレッテルをはりたがるような人も見受けられました。手塚治虫さんにしても、推進派だ、否、反対派だと、論議もされていたようです。
しかし、過去の人は過去の人の知見とその時代性においてものを言っていただけで、現在の我々が考える際の参考にはなっても、それを前面に押し立てて将来を語れるようなものでは無いはずです(良いことも悪いことも、死人に口無し、です。故人の口を借りて発言する必要などありません)。手塚治虫さんが一部の作品で示された放射能についての影響は現実には有り得ず、間違った認識「手塚治虫」を拡散させてしまいましたが、それは故人の責任ではなく、むしろ今現在を生きていながら、過去に縛られるばかりの自分を理解せず、誤った認識で世を騒がせる人たち自身の知性・理性の問題のはずです。
案外なところで、人は思想的影響を受け、思い込みを起こしてしまうもののようです。子供の頃の漫画やアニメは、影響力が大きく、根深いところで自分の考えを縛ることにも成り得るわけです。軽薄な意見に惑わされて、自分や他人に恥じるようなことにならぬように、自分の先入観には、十分に注意したいところです。
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