『ナノデー』はご用心

 昔から、会話のはじめに「すみません」が必須となってしまう『シ-マセン』(運送会社の配達員の話し方から、さっき考えたあだ名)を見かけたが、最近では「なので」を繰り返す『ナノデー』(郵便会社の職員の話し方から、昨日考えたあだ名)も見かけるようになった。
 私は文法というものが、国語も漢文も英語でも、大嫌いだったが、あえて文法的に(辞書で調べながら)指摘するなら、「ので」は接続助詞なので、文頭に付けるのは本来的な用い方ではない。だからと言って、誤りとまでは言えない。「だから」にしても、本来は文頭にくる言葉ではないが、普通に用いられるようになっている。なので、「それ故に」とか「従って」といった順接の接続詞の代わりに、助動詞+接続助詞の言葉が用いられても、年寄りには聞き慣れないだけの日本語の変化と、見なして良いかと思っている(少々耳障りだが我慢する)。
 しかし、けれども、さりながら、『ナノデー』は、ほとんどすべての接続詞を「なので」で済ましてしまう。また、および、しかも、なおかつ、どのような意味合いでそれ以前の言葉とつなげるのかなどまったく無関係に、話のはじめは必ず「なのでぇ~」なのだ。これは、もはや文法的な接続ではなく、「あ~」「う~」といった、会話の際の間に生じるなうめき声に等しく、まったく無意味で聞き苦しいどころか、「あ~」「う~」以上に、何を言いたいのか内容をわからなくしてしまう危険性をはらんでいる。その点、無意味ながら、謙譲を示しているようにも聞こえる「シーマセン」の方がまだマシかもしれない。
 会話での接続詞は、自分が前に話した内容を、自分の頭の中で整理して、次の言葉につなげる働きがある。故に、「なのでぇ」を何でもかんでも使用してしまうと、会話が混乱して要点が相手に伝わらず、自分の頭の中まで混乱させてしまう可能性があるのだ。今話した内容を自分の頭の中で確認し、続いてそれを肯定したり補強する内容を話すのか、否定するのか、接続詞の選び方で自分の話す内容を規定しなければならないが、それを省いてしまうため、自分の発言が自分でも整理できないので、会話を終了せず、だらだらと「なのでぇ」と接続した長話が続くことになる。つまり、のんべんだらりと、「なのでぇ」などと長々しゃべくっていると、自分の頭の中が腐ってしまうと言えよう。
 なので、なのでの安易な使用は避けるべく、気を付けたいものなのである。

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